コロナ前から“自粛生活”を実践していたという、ひきこもりフリーシステムエンジニアさんの記事をネットで目にして、なるほどなと感じ入りました。
・フリーのSEなので以前から在宅勤務。
・打ち合わせも世間で話題になる前からZOOMなど使用。
・企業のテレワーク化に伴い、システム再構築などの依頼が増えた。仕事面でコロナ禍で変わったことといえば、忙しくなったことくらい。
・買い物は基本的にネット通販。せいぜい週2~3回コンビニに行く程度。
・もともと外食よりウーバーイーツ派だから外に食べに行くことも滅多にしなかった。
・お酒も滅多に飲まないから居酒屋にも行かない。
・友達はそんなに多くないのでもともとアニメやゲームが好きでプライベートでも家の中で過ごすのがお決まりだった。
・荷物も食事も配達員とは直接会わず、玄関前の荷物ボックスに置いてもらうようにしている。
・そもそもマンションでひとり暮らしをしているため、日常的に誰かと接する機会もない。
・母親は以前は人付き合いをほとんどしない自分のことを心配していたが、今では「コロナから身を守るにはアンタみたいな生活が一番なのかも」って口にしている。
(exciteニュースより引用)
物事の価値とか、その価値を決める価値判断とはおもしろいものです。
以前であれば、ひきこもりに積極的な価値を見出すことは難しかったでしょうし、そこに積極的な価値判断をする人もほぼいないに等しかったのではないでしょうか。(このエンジニアのお母さんのように。)
ところが、コロナ禍によって事態は一変しました。
緊急事態宣言。できるだけ出勤しないで在宅ワークしましょう。できるだけ人に会わないようにしましょう。会う場合は3密を避けましょう。できるだけ家にいましょう。Stay Home!
これらの生活様式がニューノーマル、ニュースタンダードですよと、盛んに言われ始めているわけですが、ひきこもりさんたちにとっては、それってコロナ前から自分たちの生活スタイルですよ、ニューでも何でもないですよ、もともとそうですよ、っていう話かもしれません。
仕事にも学校にも行けない、人との関係も築けない、社会からの脱落者みたいに否定的レッテルを貼られることの多いひきこもりさんは、実はStay Homeという現下もっとも推奨される生活様式を先取りしていた!と考えるとともておもしろくはないですか?
ノーマルとか、スタンダードって一体何なの?何を基準に、誰を基準にそう言ってるの?
物事を一面的にではなく多面的に見ること、近視眼的にではなく俯瞰的に見ること、人の生き方、感じ方の多様性を認めることの大切さを感じます。