1995年1月、兵庫県神戸市で阪神淡路大震災を経験しました。
もうすぐ朝の6時、お弁当作りのためにそろそろ起きようかなぁとベッドの中でモソモソしていたいつもと何一つ変わらない寒い朝。
突然起きたわずか数秒の揺れのあと、家の中も街中もが崩れ、日常が一変しました。
1歳の誕生日を迎えたばかりの息子は、自分の周りが崩れ落ちても何にも気付くことなくスヤスヤ眠っていました。怖い思いをさせなくてよかったと安心したと同時に、絶対に守りたい大事な人を守るためにどうしたらいいのか‥という恐怖のような思い。
当たり前だと思っていた繰り返しのような安全な毎日はちっとも当たり前ではなかったのです。
2011年3月、神奈川県に引っ越してきて1ヶ月足らずでの東日本大震災。
またもや私自身の「当たり前の日常」という感覚の上に成り立っていた脆さを痛感して、あれから10年が経ちました。
神戸での震災の経験後、ずっと頭の片隅にあるのは、形あるものは簡単に壊れても、人の気持ちや人と人との繋がりは離れ離れになっても無くならないこと。
「当たり前の日常」なんてものはどこにもなくて、だからこそ今出来ることを精一杯したいという気持ち。
当時1歳だった長男は、今では大きくなりすぎて立場が逆転していますが、地震の時、安心して眠っていた姿は今でも忘れられません。
ちなみに彼が目を覚ましたのは地震発生から3時間以上も経ってから。大騒ぎの大混乱の中で眠り続けていたのは、ずっと抱いて離れなかったから安心していたのかもしれません。
「安全に安心して過ごしてほしい」という思いは、介護の仕事に場面を移してからもずっと続いている大事な思いの一つです。
今時代は、物質的な豊かさを重視してきた時代から、人と人との繋がりや精神面を重視する時代へとシフトしていると言われています。
変化を恐れず自ら前向きに、ずっと重ねてきた気持ちを風化させることなく自分自身の中に根付かせていきたいと思っています。
「当たり前の日常」が突然目の前の景色を変えてうろたえてしまったこともあるけれど、今の私には一つ残らず欠かすことのできない大事な変化でした。
そんな中で土屋に出会い、重度訪問のお仕事に関わることができて1年以上が経ちました。
お仕事を通じて毎日のように新しい出会いや新しい経験をさせていただいています。
事情や経緯はそれぞれ違っていても 余儀なく変化を迫られたご利用者様やご家族様の気持ちに少しでも寄り添うことができますように。そして安心して過ごせる時間が少しでも増えるようなお手伝いできますように‥。
大切に大切に、今できることを精一杯。