利用者様とのエピソード

星田 直



昨年、春が訪れる前のこと
人生で初めて”死”と向き合った。

僕がまだ非常勤の頃、
自宅から自転車で約5分くらいの新規のご利用者様の支援に入らせて頂くことになりました。

ちなみに僕はオープンな性格なので初対面の方でもあまり緊張はしません。

ご家族皆さんとても優しくて、そんな訳で初日ですっかり打ち解けたのを今でも覚えています。

当初、ご家族と僕、お互いが重度訪問介護とやらをあまりよく分かっておらず、サービス提供の境界線も分からないまま、ひたすら悩んでいました。

なんせ重訪のヘルパーが僕しかいなく
慣れた頃に上長も入れ替わり、僕にとって歯切れの良い相談相手もいなかったからです。

そんな中、日々を重ねご家族と触れ合う時間が多くなり
家族のように接してもらえるようになり
自然と信頼関係が構築されていきます。

“頼りにされる”
この仕事には最も信頼関係が必要だと思っています。
ただ、なぜか荷が重いようなとめどない孤独感を感じたんです。
若かった僕には相手との絶妙な”距離感”というものの理解が曖昧で分かっていませんでした。

そんなある日、新しいスタッフを導入すると連絡がありました。
利用者様が1スタッフに強く依存しない為だそうです。
どうやら私が築きあげてきたものはかなりハードルが高くNG、離脱者の後が断ちません。

「星田さんじゃないと嫌」
それは嬉しいようで、もどかしく、なぜかやるせない気持ちになりました。

時は経ち、スタッフ3名で支援を守り誰かが欠けても、バックアップでなんとか支援に穴を開けることもなく乗り越えていきました。

ある日、普段は元気で明るく振る舞う奥様が一際辛そうな表情をしていました。就寝ケアも終わり、ご本人様がようやく眠られ、落ち着いた頃に私を台所へ呼び出し「もう体も心もボロボロになった」と、今の思いを僕に話をすると同時に、複雑な心境にかられながらひたすら傾聴するしかありませんでした。

そんな日が少し続き、いつものようにチャイムを鳴らし玄関のドアを開けると、声を荒げるいつもと違う奥様の声が聞こえました。

それでも僕はなんとか薄暗い空気を物色しようと
入室試みましたが結局、”他人”の僕には何も変えられませんでした。

初めて心の底からやり切れない思いが募ってしまい
その日はどうやら何かを察した利用者様が僕に何度も何度も笑顔を見せて元気づけようとしてくれたのを思い出します。

状態が進み、在宅支援が厳しくなった頃
毎日のように病院へ足を運びました。
僕が病室を覗くと嬉しそうに笑顔を浮かべるご利用者の笑顔が楽しみでした。
ある日、いつものように文字盤を駆使して
話をしていたらテレビ下の引き出しのアルバムを見ていいよと言ってくれました。

そこには病気になられる前の利用者様の
微笑ましい家族写真がたくさん並んでいました。

それはとてもとても優しそうな父親がおり
母親がおり子供がおり…
当たり前にあるような何気ない家族写真を引き込まれるように眺める僕がいました。

病状が進み、引き受けてくれる病院もなく
ようやくホスピスが見つかったと奥様からご連絡がありました。

当然、ケアに入ることはできなく
受け止めきれない現実に悟った僕は駅の改札近くで号泣してしまいます。

昨年のバレンタインデーのこと
ホスピスのある町田へ足を運び、当時一緒にケアに入ってたスタッフを呼んで立ち寄りました。

いつもと変わらず見せてくれる笑顔。
別れを惜しみ振り絞った挨拶を最後に部屋をでました。

そして月日が経ち
奥様から突然の1本の電話。

僕は覚悟ができぬまま再開。

家族のようにありのまま話してくれる奥様の
瞳の奥は、以前のように母親のように懐かしく温かい優しさに満ち溢れていました。

その日は思い出ふかし長いようで短い時間を過ごし、、、

帰り際の玄関先、

「皆さんがいたから主人はここまで頑張って来れました」と突然涙する奥様。

戸惑いも隠せずついもらい泣きをしたあの時間をはっきり覚えています。

ご逝去されてしまいましたが利用者様には生きていく上でたくさんの大切なものを教えて下さったと思っております。

それは今全てにおいて僕の中で大きく心に刻まれています。
どんなに辛く悲しいことがあっても前を向いて笑顔でいること。感謝を忘れないこと。

今は誇りをもって胸を張って
心からこの仕事が好きと言えます!


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