僕は進行性筋ジストロフィーという難病を抱えている。この病気は「進行性」ということもあり、年を追う毎に僕の身体の自由を奪ってく。現在の身体の状態はといえば、自力で身体を動かすことはおろか自力で呼吸することも出来ず、人工呼吸器を付けて生きている。身体で動かせる箇所は目と口と手足の指先だけ。
僕は幼少の頃から障害を抱えているという理由で、これまで人生の大半を施設や病院で生活をしてきました。親の意向が反映された形ではあったのだが、僕自身、障害者である自分に劣等感を抱いていた。僕は8歳から18歳までの10年間を障害児の療育施設で過ごし、その後は県内の国立病院に入院。
僕のような重度の障害を抱える者にとって施設や病院での生活は、ごく当たり前という認識を持っていた。在宅で家族と同居となれば、同居する家族に負担をかけてしまうのは必然的。親もどんどん歳を取り、いずれは僕を介護できなくなる日がやってくる。ましてやこの不自由な身体で自立生活をするなどあり得ない。病院に入院したほうが安全で安定した生活が保証される。自分なりに悩んで導き出した答えが病院での生活でした。
しかし、根底にあったのは複雑な想いと葛藤であった。障害者であることを言い訳にして自分の本心から逃げているのではないのか?限られた自由の中で一生を過ごす人生で満足なのか?病院での生活を続けていく中で、僕の心は常に揺れ動いていた。しかし、この想いをカタチにしていく方法が解らずに24年間の時を過ごしてきました。
僕の人生に大きな転機が訪れたのは3年前のこと。当時、全国筋ジストロフィー協会秋田県支部の事務局長から重度訪問介護という制度についての情報を耳にした。最初に聞いたのは療養介護を受けている利用者でも重度訪問介護の外出支援が受けられるというもの。
療養介護利用者の外出支援が制度の目的であって、支給される時間数は月10時間。さっそくサービスを利用してみることにしたのだが、蓋を開けてみたら僕のイメージとはまったくかけ離れたものでした。当時、地元の介護事業所に外出支援の依頼をしたのだが、一般の介護事業所では人工呼吸器ユーザーの支援は家族または医療従事者の同行がなければ支援できないとのこと。
重度訪問介護という制度は重度の障害者を支援するためにつくられた制度のはずなのに、重度障害者が不都合を被るという現実に違和感を覚えた。これでは自分が求めている支援が受けられないと感じた。僕が求める支援とは、重度の障害を抱える者であっても地域格差なく個人の自由の下に当事者の求める支援が受けられるというもの。
当事者の自由が制約されてしまうような体制というのは果たして当事者が求める支援と言えるのだろうか?違和感を覚えはしたが、重度訪問介護を知る大きな機会になったのは確かだ。その後、重度訪問介護というものに関心を持つようになり、その情報により耳を傾けるようになった。
そして僕の人生の分岐点となり得る情報が飛び込んできた。全国には障害当事者が主体となる自立生活センターが存在します。自立生活センターとは、障害者の地域移行を推奨し支援する団体。その情報を基に僕なりに調べてみたところ、ある新聞記事に目が止まりました。
その記事に書かれていた内容は、僕と同じ筋ジスの方が病院を退院し、重度訪問介護の24時間の支援を受けて在宅で生活をしているというものでした。その方の生活環境や境遇が自分と重なる部分が多くあり、僕にとっては救いの手を差し伸べられたような感覚でした。青天の霹靂とはまさにこのことです。
当時、その方が住んでおられた地域はまだ重度訪問介護24時間支給が認められておらず空白域であった地域。支給決定が認められたというのは障害福祉において大きな前進である。この記事を目にした瞬間、僕の中にあるモヤモヤした想いが一気に弾けた。
以前の僕は障害者である自分に対して劣等感を抱き、悲観的な思考を持っていた。障害者=可哀そうな奴というレッテルを僕自身に貼り付けてしまっていた。社会に出て地域で生活をするなどあり得ないことだと決めつけてしまっていたが、でもそれは決して僕の本心ではなかった。
障害があるから不幸な人間なのか?障害があるから全てが不自由なのか?そんな定義は存在しない。どんなに重度の障害を抱えていても、人生を選ぶ権利はあります。自分らしく生きる権利はあります。
自分らしく生きたいという意思と地域で生活していくための制度が確立されていれば、例え重度の障害を抱えていても地域で自分らしい暮らしができるのです。
僕は重度訪問介護の本来持つべき姿とは重度障害者に「自分らしさ」を与えることにあると思います。「自分らしさ」とは、まさに基本的人権の尊重であり、他社や不条理な社会の影響を受けることなく、個人の自由の下に人生の選択・決断し行動していくことだと思っています。
僕は現在、重度訪問介護という制度を使いながら地域で自立生活をしている。昨年の10月に24年間を過ごした病院を退院し、昨年の10月から自立という新たな人生をスタートさせました。自分の想いをようやく形にすることが出来たと思います。
これからは僕の経験を通して障害の有無に関わらず、たくさんの人に重度訪問介護という制度を知ってもらい、地域移行の素晴らしさ、障害福祉のあり方を考えるきっかけを与えていきたいと思います。
加藤与一
1977年12月10まれ 43歳
秋田県秋田市在住
5歳で進行性の難病、筋ジストロフィーと診断。
8歳で親元を離れ、それから35年間、施設や病院で暮らす。そして2020年10月に念願だった自立生活をスタート。
今やりたいことは今やろう。いつでもできるから、後でもいいやなんて思わずに…出来ることは今やろう!明日の未来が必ず約束されるわけではないから、今この瞬間を大切に生きよう。