利用者・加藤拓の経験”知”

利用者・加藤拓の経験”知”

加藤 拓



第2回 ヘルパーだからこそできること


前回のコラムを公開していただいてから、早くも1ヶ月近くが経った。私はこれまでに数回、単発で雑誌に寄稿したことはあったが連載は初めてで、月に一度のペースが速いことに驚いている。先月、私は「私にとってヘルパーは日常を共につくりあげる大切な存在だが、家族でも友人でもない」と書いた。言い換えれば、私のことをよく理解してくれている第三者なのだ。第三者という言葉によそよそしさを感じる方もいるかもしれない。だが、だからこそ出来ることがあると私は考えている。

今から30年あまり前、障害がある子どもは養護学校(現:特別支援学校)に通うのが当たり前だった時代に、両親と私は地域の普通小学校に通うことを希望した。学校も教育委員会も猛反対だったそうだが、母が毎日送り迎えをして授業中も付き添うという条件で、ようやく入学が認められた。入学してから私と母は毎日一緒に登校し、机を並べて授業を受け、行事に参加した。宿泊行事のときには父が仕事を休んで付き添ってくれた。異例なことだらけだったが、先生方も友人達もとてもあたたかい人たちばかりで、楽しく学校生活を送ることができた。ちなみに母は「私は小学校を2回卒業した」と今でも自慢している。

中学校に入ると、さすがにずっと母と一緒はどうかということで、介助員の方についてもらえることになった。母が来るのは送り迎えとトイレ、給食などポイントの時間のみになり、このやり方は(都立)高校でも続いた。大学では介助員をつけるのではなく、友人達に協力をしてもらいながら過ごしたが、やはり食事やトイレは母に来てもらっていた。総じて私の学校においての生活は大きな不自由を感じることなく、楽しいものであった。それはもちろん、両親の支えと先生方や友人達のサポートがあったからだ。しかし裏を返せば、私たち親子は親離れ・子離れしにくい環境だったとも言える。家だけでなく学校でも一緒に過ごす時間が長く、大学の途中まで、私には両親以外の人と外出するという発想もなかったのだ。

私が初めて家の外で同世代の友人達とだけで過ごしたのは、高校のコンピュータ部での活動だった。限られた時間と空間だったが、近くに大人がおらず、普段の「枷」を外して清々しい気持ちで楽しんだ覚えがある。そして、大学生の途中でヘルパーのケアを利用し始めて以降は、友人達との飲み会にも参加できるようになった。初参加したときにある友人が「加藤君は授業終わるとすぐ帰っちゃうから誘っていいのかわからなかったんだけど、大丈夫なんだね」と言っていたのは、彼の本音だったのだろう。私としても、親がいなくても出かけられると思えたのはヘルパーのケアを受けるようになったからだし、大学生にもなって友人と遊ぶときに親が一緒にいたら、お互いにやりづらいだろうという遠慮もあった。

それ以降、私はヘルパーと一緒なら外出できるという自信を持ち、それから10年ほどは講演活動や勉強会への参加など、様々なところに出かけていく日々を過ごせた。その中で7~8年ほど前に私は今の所属団体の仲間と出会い、今の私の土台が作られていった。そこからさらに2~3年経ったころ、大きな変化があった。所属団体のイベントや勉強会は曜日も時間帯もバラバラで、いつもヘルパーのシフト調整がうまくいくとは限らない。でももっと参加したいと考え、イベント直前にヘルパーの介助でトイレを済ませておき、上着の着脱や食事介助などは仲間にお願いしてみたところ、問題なく楽しく過ごすことができた。電車移動なら私一人で簡単にこなすことができるため、家に帰るまでヘルパーに同行してもらわずとも外出できるようになったのだ。もちろん、介助を快く引き受けてくれる仲間には本当に感謝している。

私の場合、外出先では移乗を要するトイレ介助だけは多少注意が必要なものの、可動域の制限は小さく嚥下も問題ないため、それ以外のことは難しくない。それは、ヘルパーという複数の第三者に説明して介助してもらうことでわかってきたことだ。家族だけの介助で過ごしていては、自分自身の介助で難しい点や注意点を整理することは難しいうえに、そもそも家族が全ての外出に付き添うなど現実的ではない。自身のケアの要点がわかり、ヘルパーではない仲間にも頼めるようになったことで、私の外出の幅は大きく広がった。そして、介助を頼んで共に過ごす時間が増えたことで、仲間との絆はさらに深まったと感じている。掲載した写真は団体の仲間との懇親会の写真だ。この中に私のヘルパーはいない。でも、その方がいいと思っている。また、先月末には私一人で特急に乗って秩父に出張に行き、現地でのみヘルパーの介助を頼んで深夜に帰宅するという、数年前は想像もしていなかったこともできるようになった。人は変われば変わるものだ。

私と家族だけではできない経験をヘルパーと積み重ねることで、私は成長できた。仲間とだけで懇親会を楽しめるようになったことも、遠くへの出張が可能になったのも、その積み重ねの結晶だと思っている。ヘルパーの役割は利用者の日常を支えることだが、関わり方次第で利用者の可能性を引き出し、その世界を広げることもできる。願わくは、利用者とヘルパーは共有した時間や経験から互いに学び合い、成長を喜び合う関係であってほしい。そして、障害のある利用者は可能ならば積極的にヘルパーと外出してみてほしい。もちろん大変なこともあるし、それぞれに合った工夫が必要だ。でもその積み重ねの先には、自分も想像していないような世界が待っていて、きっと新しい自分に出会えるはずだから。



加藤拓(かとう たく)
1983年生まれ。生まれつき脳性麻痺による身体障害者で、現在は毎日ヘルパーのケアを受けながら、「皆で考えてつくる医療と介護」をモットーに、講演活動やワークショップの開催を続けている。2020年7月からはヘルパー向けの研修講師も担当している。
趣味はゲームと鉄道に乗ること。


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