利用者・加藤拓の経験”知”

加藤 拓


第18回 メディアが社会にもたらすもの、もたらさないもの

皆さまの好きな音楽やお気に入りの曲は何だろうか?
私も中学生のときから大学生あたりまでは流行りの曲をよく聞いていたが、中でもポルノグラフィティが好きだった。自分の心の中をそのまま歌ってくれているように感じる曲があったからだ。
しかし、社会人になって以降は新しい音楽を聞かなくなり、大人気漫画の映画の主題歌を『炎(ほむら)』と読めないほどに、2010年代以降の曲は知らない。特定のものに興味を持ち続けるということにも、それなりエネルギーが必要なのだと感じている。
最近は、テレビ番組や流行については母の方が明るい。好奇心を持ち続け、様々なことを知ろうとする姿勢は見習いたいと思っている。

そんな母が、テレビを観ながらよくこんなことをボヤいている。

「どの局も同じ話題ばっかり!それにニュースの映像まで同じのを使いまわしてる。独自に取材して伝えようっていう気はないのかしら」

取り上げるニュースが各局同じなのは私も感じていたが、事件の防犯カメラの映像や、心が和む子どもや動物の映像にいたるまで、様々なものを各局が共有しているかのごとく、同じものが使われていることに気づいた(取材を受ける側の負担に配慮して合同取材が増えているという事情もあるようだ)。
バラエティ番組も、類似の企画に少しだけ手を加えた、「どこかで見たことがある番組」が多いと母は言う。
メディアは国民にコンテンツ(番組)を提供し、国民がそれを見て楽しむという構図は今も昔も変わらない。
均質化し過ぎてつまらないと感じているのは母だけではないだろうが、私はそれ自体が問題だと言いたいのではない。報道やジャーナリズムまでも“コンテンツ化”されすぎて、社会問題に対して考えを深め、解決していくというプロセスに寄与しているか疑問に感じるのだ。

例えば、医学部の入試で男女を平等に扱っていなかったり、部活動で危険なプレーを強要したりという問題が大々的に報じられたことがあった。どちらも大きな問題だと私も思うが、メディア(特にテレビ)でその後の展開を取材して報じているのを、ほとんど見たことがない。
それでは、問題を起こした組織や当事者が「メディアが騒いでいる間だけしおらしくしていればいい」と考えても不思議はなく、問題提起にはなっても解決につながらないおそれがある。
また、これらの問題を深掘りすれば、前者は男女のキャリア形成の条件の差と働き方に、後者は大学のガバナンスや、スポーツと教育の関係性という普遍的な課題に行き着く。表面化した問題をきっかけに社会について考える大きなチャンスだが、“コンテンツ化”されすぎた報道は、それを潰してしまっている気がしてならない。
大騒ぎして後はほったらかしでは、インターネット上で「バズる」のと大差がない。せっかくの機会をコンテンツとして“消費”してしまっているのである。

そもそも、社会の課題を解決するには、かなりの時間とエネルギーが必要なのだ。
私に身近なところでいえば、障害者の「社会進出」はかなりの時間をかけて少しずつ進んできた。戦前から盲、聾、養護学校は存在したが、学校教育法によって法的に位置づけられたのは1947年のことだ。
しかし、養護学校は義務教育機関とはされなかったため、重度の障害児を中心に「就学猶予/免除」という形で、学校に通わせなくてもよいとされることも多かったという。
養護学校が義務教育機関とされたのはなんと1979年、私が生まれる4年前のことなのだ。病気や障害が重くても、その子に合った教育をできる限り受けさせてあげるべきだという声が形になり、義務教育の一部とされるまで30年以上かかっているのである。
また、1976年には障害者雇用促進法が制定され、一定以上の規模の事業者は決められた割合の障害者を雇用するよう求められるようになった。
さらに時代が下って2000年には交通バリアフリー法が制定され、公共交通機関のバリアフリー化がさらに進められた。これらの法整備のためには、当事者や支援者の地道な働きかけがあったことは言うまでもない。
そのおかげで、障害者をあからさまに差別するのはよくないことだという価値観が、少しずつではあっても社会に根付き始めているのだ。

私は大学生のとき、ジェンダー論の講義で「人の意識はルールが変わらない限り変わらない」と教わった。だが、社会のルール作りが行われるためには一定の割合の人が問題意識を共有し、自治体や国会を動かさなければならない。
戦後、テレビメディアが発達し、社会に浸透した。平成の社会にはインターネットが登場し、情報の収集と発信の仕方は多様になった。しかし、人はそんなに簡単には変わらない。人がある問題を知り、問題意識を共有し、それが多くの人の価値観に組み込まれて社会に広まっていくまでには、繰り返しその情報に触れる機会と、長い時間が必要なのだ。
数回マスメディアに取り上げられたりインターネット上でバズったりするだけでは、人の意識は変わらない。やはり、当事者が熱意を持って根気強く周囲に働きかけ、志を同じくする仲間を増やすことが不可欠だ。
ルール作りと仲間づくりは社会においても、身近な学校や職場等においても、課題解決のための両輪なのではないだろうか。

情報が伝わるスピードが格段に上がったことで、次々に新たなニュースが伝えられるようになった。
何も考えずにニュースやインターネットを見ていると、日々提供される情報をコンテンツとして“消費”し、忘れていってしまう時代になったのである。
押し寄せる情報の波に溺れないために、まずは気になる話題や興味のあるニュースについて身近な人と話してみることを、強く勧めたい。自分の考えを整理できて視野が広がるうえ、互いのことをより深く知ることができるからだ。
何に関心を持ちどんな社会をつくるかは、私たち次第なのである。

加藤拓(かとう たく)
1983年生まれ。生まれつき脳性麻痺による身体障害者で、現在は毎日ヘルパーのケアを受けながら、「皆で考えてつくる医療と介護」をモットーに、講演活動やワークショップの開催を続けている。
2020年7月からはヘルパー向けの研修講師も担当している。 趣味はゲームと鉄道に乗ること。

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