重度訪問介護を利用して

清水仁美


 私が重度訪問介護の利用を始めたのは、制度が出来て少し経ってからだったと思います。

 最初は外出するための支援として利用していました。一人でほとんど動けない私にとっては、お願いすれば必要な介助をやってもらえるという画期的な制度でした。当時は、余暇活動や当事者会の活動に参加するために、必要な介助をしてもらうのがメインだったのですが、楽しい時に一緒に楽しんでもらえる事が重要だと感じていました。今のような形で重度訪問介護を使い出したのは、まだ1年たっていません。本当に自分のやりたい事を実現するために、必要不可欠な制度だと思っています。

 私が一人暮らしをしたいと思ったのは、中学2年の時でした。その時は、親から離れたいという単純な理由でした。当時は今のような制度が無く、本当に夢のまた夢な話でした。でも、私が年を重ねていくうちに、親の衰えを感じるとともに、私の介助に限界を感じはじめ、将来を本格的に考えなければいけない年齢になっていました。「少しでも親が元気なうちに、私の生活を安定させて、安心してほしい、私に合わせた生活から解放してあげたい」気持ちがありました。

 学生時代、短期入所など体験しましたが、自分の生活スタイルにはとても窮屈な気持ちで、やはり施設入所というよりは、地域の中で暮らしていきたい、自分の思う暮らしがしたいという気持ちが強くなってきて、5年位かけて少しずつ準備をしてきました。なかなか住む場所を決めるのが難しく、家族と相談のうえ自宅の離れ(それまで住んでいた家)をもらい、生活をしていく事になりました。24時間介助が必要な私にとっては、介助者の確保が大きな課題でした。そんな時の土屋訪問介護に出会い、大きく前進させる事が出来ました。昨年11月から一人暮らしをスタートさせる事が出来、いきいきと生活しています。

 土屋介護のみなさん個性豊かな方がたくさんいて、アットホームな雰囲気づくりをしてくれているので、夜の時間をリフレッシュタイムにできています。正直夜だけでは少々物足りないと感じています。自分に無いものを持っているという事で、私にとって知識を増やしていける、とても良い時間になっています。日々の生活の中で楽しいと思える時間は大切なこと、私らしい生活という部分では土屋介護はなくてはならない事業所だと思います。時には介助の頼み方、人間関係などで悩む事はありますが、やっとヘルパー生活が形になってきています。ただ人と人との関係、ヘルパーさんにも人生があるので、別れも何回も経験しなければいけないという事が、ちょっと辛い時があります。それを私の中でどう乗り越えていくか、関わってもらっているうちに何を残していくか、少しだけ考える事があります。

 重度の障がいを持っていると、人の助けがどうしても必要になります。私たちが生きるという事は、たくさんの人の力を借りなければ成り立たないのです。でも最近、力を借りているだけじゃないのかもしれない、という事に気づき始めました。たまにヘルパーさん達から、『色々な障がい者の事を知る事が出来た、とか、話をすると元気が出る』などと言ってもらう事があります。という事は、やってもらうだけじゃなくて、私たちが何かをヘルパーさん達に与えられる物がある、お互いに頑張っている事がある、そう感じられることでさらに私の活力に繋がっていると思います。まだまだ始まったばかりの一人暮らしですが、私が楽しいと思えるもの、事をこれからもたくさん増やしていきたいと思っています。
そしてたくさんの人との出会いで、成長していきたいと思います。

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