『蟹を助けた話』

『蟹を助けた話』

間傳介



先日の台風19号は南国生まれの自分の予想と違い、風より雨で、広範囲に被害が及んだようである。私の知る人に被害はありませんでしたが、私の知らない人に被害があったようです。恐らくは土屋訪問の皆さんの中には、実際被災された方もあっただろうし、訪問先や関係先の方を辿れば、代われない辛さを目にし耳にし、肌身感じたこともあっただろうと邪推します。被災された方、お身内の方が被災された方、お一人お一人がかけらでも、闊達さを1日でも早く取り戻せること祈っております。

さて、このたびのお話、なんでもない話なのですが、ちょっとお耳を拝借。

私は知的障害者入所施設で働いておりまして、1日に7つの勤務時間、夜勤もある7人交代で入所者の皆さんの支援をしています。 夜間は寝ている方を起こさないように、それでも無事に寝ておられるか確認のために時折、そ~っと寝顔を拝見するというのも大事な仕事の一つです。二棟見回る都合上、一旦建物の外に出ることがままあります。

本稿を書いている今夜もそうして回っています。
午前1時ごろでしたか、タバコを吸いに外に出て、中の手洗い場に戻ってみると、眼の端に何か動く気配があります。
今いないような気持ちで視界の中にその気配を捉えてみると、一匹の沢蟹がそこに居ました。私の勤める施設は東京といっても多摩地方の山間にあり、近くに控える墓地の石たちの方が、そこに棲まう人間より多い土地で、近くにあるゴルフ場を歩く華やかな色遣いの服たちとは、会員権の金額で隔絶されており、“田舎暮らし”という昨今のまた別の華やかさとも遠い、そういった意味で人々の“知らない”、また知るつもりもない土地にあります。

幾年後かに建て替えを控えた施設は至るところに綻びがあり、掃除を重ねた80年代風の床の乳白色は、掃除を幾度も幾度も重ねた結果その入り込んだ汚れを、図らずともひけらかすように見せており、夜間の弱めた照明にもそれはみて取れて。その床の上に沢蟹が、ただ居りました。

故郷鹿児島の、我が家の田の側の用水路、といっても護岸も何もない水路の、水溜りに歩いていた時と同じように、沢蟹はそこに居りました。

それを思い出してこちらが嬉しくなったことで心の気配が動いたことを察知したか、沢蟹は両の鋏をすっとこちらに向かって構えて止まりました。沢蟹はこちらを敵と見做したのでしょうか。それとも単に習性として、反射として鋏をこちらに向けているのか。

非常口の緑と、常夜灯の山吹色に照らされた蟹の鋏には、彼が通った道にあったであろう埃が絡み付いておりました。

施設の中で虫を見かけるのは日常茶飯事で、バッタの類や蛾、蝶、蠅虻蜂にオサムシ、夏は甲虫と、出会う事はままあり、中には凡そ害虫というゲジゲジムカデもおり、それらは入居者を噛んでは事なので、一切迷わず踏み潰して殺しております。

沢蟹はというと、まだ私に鋏を向けております。

先だっての台風で施設の近所もあちこち冠水し、山からまだ水が染み出して、川の子供のような流れがあちらこちらに見受けられるこの夜、この沢蟹も、何故かここにいるのだろう。沢蟹を今私が見過ごすとして、沢蟹はこの先普段のように生きながらえるか。

しかし同時に、私如きが沢蟹の実力を十分に知っているということもない。沢蟹は結構したたかで、こともなく生きながらえるのかもしれない。

私は固い手拭き紙を取り、蟹が運ばれていく間暴れても落ちないように包み、外に連れ出しました。
幼い頃芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を紙芝居で聞き、「自分はかんだたのような人間だ。それは隠しても仏ならわかってしまうだろう」と怯えた私は、齢が四十に届きそうなこれまで、仏が見れば悪行とされることも多々行なってきており、これはこれは逃れ難い地獄行きの切符がもう名入りで準備されているだろうと思っている。
そして、蟹を助ければ一つ善行を積んだことにはならぬかとも思うが、その打算はやはり地獄行きの加点に過ぎぬのではないかとも思う。

沢蟹は今私に運ばれて、大いにストレスを感じて、それが元で体を壊さないだろうか。
蟹は心理などという人間が煩わされるものなど持ち合わせてはおらず、まして種、全体の繁栄を目的とするならば、この沢蟹の勇猛さを私は恩着せがましく邪魔立てしたに過ぎないのではないか。

私の手には漏斗状に包んだ手拭き紙と、そのの形を突き破れないほどの力でもがく沢蟹があり、その情景を保ったまま私は屋外へ出た。

紙を開いてみると沢蟹は、一度腹側を天に向けたので「憤死したのか?それとも死んだフリか?」と私が考えるのもそっちのけに、すぐ向き直り、屋外を進んで行った。

これを、私が蟹を「助けた」と言うのだろうか。

略歴
1981年、鹿児島県産まれ。
宇都宮大学教育学部国語科教育八年満期退学
「東京に行け」との高校の恩師の言葉を独自解釈し北関東に進学。
修辞学、哲学、文学、芸術、音楽、サブカルチャー等乱学。
効率、生産性ばかり喧伝する文化の痩せた世の中になった2008年ごろ、気づいた頃には相対的に無頼派となっており、覚悟し流れ流れて福祉業界に。
知的障害者支援、重度訪問介護、などに従事。
「能(よ)く生きる」ことを追求している。
友愛学園成人部職場会会長

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