ミズ土屋 アスミサトウのリーダーシップ考① 女性のリーダーシップワークショップを通じて

ミズ土屋 アスミサトウのリーダーシップ考① 女性のリーダーシップワークショップを通じて

佐藤飛美



私は現在、どちらかというと社内でもまだ少ない女性としてのチームリーダーを任せていただいています。幸い「女性だから」というやりづらさは感じていませんでした。それは女性比率が圧倒的に高い介護業界だからかもしれませんし、ESLカルチャーのおかげかもしれません。

さて、突然ですが遡ること数か月前…

普段は黒衣のようにひっそりとチームを支え、しかし時にはジャンヌダルクのように先頭に立って指揮を執る強さも必要だろうか?なんて思いをめぐらせながら、チームを引っ張っていく難しさに日々頭を悩ませつつも、私の毎日はとても充実しているつもりでした。ですが、ひょんなことから夫との会話でこんな事を言われたのです。いつか寿退社を夢見て勤める女性と、人生のほとんどを会社に捧げる覚悟で挑む男性とではのしかかる重圧が異なるのだと。仕事への取組みや、意識には大きな違いがあり、いかに女性が甘くぬるい守られた社会の中で生きているか!
そこまでハッキリ言ったかは定かではありませんが私は彼の話をそう捉え、とても複雑な思いになったのです。バカにされては困ると、私は甘い気持ちでなんて取り組んでいない!女性蔑視なのではないか?!と。
そこそこ根に持つ性格な私は、度々このテーマで夫と話をする事になりました。

そんな中、安積遊歩さんの講話を先日拝聴し、改めて女性としての在り方を考えるきっかけを頂きました。

「守ってくれなくていい」遊歩さんの口から飛び出したその言葉は、とてもセンセーショナルであり、女性としてやはりどこか男性に守られたいという感覚がありながら、でもそれは本当に「守られたい」のか、「守られるべき」という幼少期から刷り込まれた意識の内面化なのか…私の中で疑問が生まれました。

もしそれが事実内面化なのだとしたら、そんな内面化された社会の規範を背負った状態で、女性もリーダーとして立ち上がる、これはちょっとしたハンデ戦だなと感じます。

私は今回、遊歩さんと一緒に女性と男性の対等性について考えた時、自分がいかに間違った認識をしていたのか気が付くことができました。
体格差を考えても劣り、パワー勝負では当然負け、月に一度訪れる月経により毎月体調不良に見舞われる女性…なんと貧弱な。これで男性と対等でありたいだなんておこがましいとどこかで考えていた自分がいたのです。対等性の解釈を間違えた実に恥ずかしい短絡的な発想でした。

女性らしく、男性らしく。言葉遣いをとってもそうですし、立ち居振る舞い全てにおいて性別による固定的な意識が根深くあるように感じてなりませんが、それも女性のリーダーシップを阻害している大きな要因の一つでしょうか。しかし、先に述べた体格差などに言えると思いますが、これは男女の違いではなく全ての人に当てはまる個体差ですよね。性別にとらわれず、まずは一人として同じ人間はいないのだという原点に立ち返ることで自身を肯定し、知らぬ間に作り上げられた内面化からの脱却を図れたら素晴らしいのではないでしょうか。

こうして書いていると、女性ばかりが劣勢に立たされているような錯覚にも陥りますが、男性にも同じことが言えるように私は思います。泣く事は許されず涙を堪える精神力を身に付け、弱音も吐けず気持ちをぐっと飲み込む。それはそれでとてもかっこ良いのですが、幼少期から厳しく育てられるそんな環境は、成人してからもずっと男性の心を苦しめているかもしれません。冒頭での夫の発言も、こうした内面化の表れなのだと今となっては納得ができます。私自身も子育ての中で何度となく「男の子がそんな事では恥ずかしいよ」と我が子に伝えてきてしまったこと、今となっては後悔です。

リーダーシップとは一人では成りません。
性別を越えお互いを尊重し合えるパートナーシップを結び、どれだけ支え合えるかがリーダーシップなのだと今回の遊歩さんの講話から学ぶことができました。

それには、性別を含めたあらゆる違いを肯定する。まずは私自身がその姿勢を貫き、しっかり体現していきたいと強く感じています。
そして女性の枠にとらわれず、一人の人間としてリーダーシップを発揮していけるよう努めます。


編者注)有志で安積遊歩さんと女性のリーダーシップについてのワークをショップを行いました。




訪問介護サービス
新規のご依頼はこちら

介護スタッフ
求人応募はこちら

コラム