第13回 言葉の選び方と受け取り方
こちらのブログで月に一度のコラムを書かせていただくようになって、早くも一年が経った。日頃交流のある方からは様々な感想を聞かせてもらっており、自身の学びにつながっていると感じる。今後も肩肘張らず、率直に自分の考えや感じたことを書いていければと思っている。この一年で私は、以前よりも言葉について深く考えるようになった。図書館での読書や、辞書をひき言葉の意味やニュアンス、語源などについて調べる機会は格段に増えた。そうしているうちに、最近の言葉の使い方や社会の側の受け取り方への違和感が、私の中で大きくなってきたのだ。今回は、私なりの考えを書いてみたい。
最近、元女性プロゲーマーが動画配信中に「身長170cmない男は人権ない」と発言して大問題になったことは記憶に新しい。ゲーマー界隈で「人権」という言葉はそのままの意味で使われていないことは理解するし、彼女の本意はおそらく「私は背の高い男性が好みだ」ということだろう。しかし、実社会で「人権がない」というのは明らかに相手を強く否定する意味合いを持ってしまう。このような言葉は、たとえ特定のコミュニティ内でのスラングで、使っている当人に誰かを貶める意図はなくても、公に使うべきではないと私は考える。また、障害者への蔑称である「めくら」や「つんぼ」などの言葉も、誰かに対して使うことは引き続き避けるべきだろう。一方で、「めくら」という言葉を含むというだけでほぼ使われなくなった、むやみにという意味の盲滅法(めくらめっぽうという言葉がある。また、手元を見ずにキーボード入力をすることをブラインドタッチというが、ブラインドという言葉が盲目を意味するとして、タッチタイピングという表現へと変える動きもあるそうだ。しかし、私はこれらの言葉からは差別的なニュアンスを感じないし、絶対に使ってはいけないとは思えない。
そして、言葉そのものではないが気になる表現もある。私が電車に乗降する際には、駅員にホームと車両の間に渡り板を置いて介助してもらう。その時、駅員は乗務員に向けてマイクで「業務放送、お客様ご案内中です」とアナウンスする。しかし最近、ある鉄道会社では「運転調整をします」とアナウンスすることが増えてきたのだ。その鉄道会社にアナウンス内容を変えた理由をメールで問い合わせたところ、変えたことは間違いないが、理由は「業務の見直しによって」とはぐらかされてしまった。鉄道会社側が自ら変える理由は思い当たらないため、おそらく障害者やその周辺の人々からの要望があったのだろう。自分が乗り降りすることをマイクでアナウンスしてほしくないとか、他の利用客からのクレームの的になるのは嫌だ等の理由だろうか。鉄道会社にとっても、利用客への配慮と利用客同士のトラブル回避につながり、悪い話ではない。しかし、車椅子ユーザー1人が電車に乗降することで余計にかかる時間はものの数十秒、長くても1分程度だ。その程度の時間で何か言ってくるのなら、非難されるべきは言った側なのではないか。加えて、この「お客様ご案内中です」というアナウンスは遠足に行く小学生が団体で乗降するときなど、停車時間が延びる場面でされており、障害者の乗降の際に限ったものではない。利用客を案内しているというのは事実であるし、業務上必要な連絡事項のはずだ。そのうえ、マイナスのニュアンスはないのだから、私はこの言い換えには違和感を覚える。むしろ、言い換えることで「車椅子ユーザーが電車に乗ることは、表現を変えて誤魔化さなければならないことなのか」と、私は感じてしまう。
このように、事実を述べることを遠慮し始めれば、あらゆる表現ができなくなってしまう。たとえば、COWCOWという芸人の「あたりまえ体操」というネタがある。その中に「右足を出して左足出すと、歩ける♪あたりまえ体操♪」という一節があるが、私にとっては当たり前ではない。それでも、当時の私はこのネタをおもしろいと思ったし、歩けない人をバカにしていると感じたことはない。これをダメだというのなら、芸人のネタはほぼダメになってしまうだろう。また、先ほど例に挙げたタッチタイピングという言葉も、病気や障害によってキーボードでない装置を利用して文字入力する人のことは想定しておらず、“配慮のない表現”と指摘することもできてしまう。特定の人々に無神経な言葉を投げかけるのは厳に慎むべきだが、元々差別的な意味合いのない言葉や表現に対して、いわゆる“弱者”への配慮が足りないという反論しづらい指摘をすることで変えさせることも、好ましいことではないと私は思う。
人間は言葉によって様々な情報を素早く共有することで、社会を発展させてきた。デジタル媒体が発達した現代では、言葉は簡単に独り歩きをするリスクを孕む。だが、元々の意味やニュアンス、使われる場面などを鑑みず反射的に批判して使わせないようにすることは、まさに言葉狩りである。それは私たちの文化を伝え、心の機微を表現する手段を自ら手放してしまうことになりはしないだろうか。言葉は私たちを勇気づけも傷つけもする。そして、同じ言葉でも受け止められるときとそうでないときがある。なんと扱いの難しいものだろう。だからこそ、人に向けて発信する言葉は慎重に選び、ある程度の寛容さをもって受け取る姿勢が、今求められているのではないだろうか。
加藤拓(かとう たく)
1983年生まれ。生まれつき脳性麻痺による身体障害者で、現在は毎日ヘルパーのケアを受けながら、「皆で考えてつくる医療と介護」をモットーに、講演活動やワークショップの開催を続けている。2020年7月からはヘルパー向けの研修講師も担当している。 趣味はゲームと鉄道に乗ること。