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地域生活を支える住宅の確保~後編~

地域生活を支える住宅の確保~後編~

渡邉由美子



 人生で早々あっては困る火事を、私は一軒目に借りた住宅で二度経験しました。その建物は今でも人が住んでおり、その人たちは何も知らずに住んでいるのだと思うと、怖い感情を抱かずにはいられません。私は四階に住んでいました。通常は160キロある電動車椅子に乗って暮らしています。一回目の火事は火元の七階が全焼し、重症のやけどを負った人が三人ほどでる、結構な規模の火事でした。発生時は午前二時半頃でしたので就寝中でした。火災報知機のけたたましい音で目を覚まし、その瞬間にきな臭いにおいが室内をたちこめ、各部屋から住人が廊下に出て大騒ぎする状況となっていました。外国人居住者も多くて介護者はどうしていいか分からず、とにかくベランダから要援護者の寝たきりの人がいることを下の消防士に叫ぶように伝え、私は介護者が逃げ遅れてはいけないと思い、逃げてくれということを必死に伝えながら救助を待つ状態となりました。

すごく慌てている時なのに妙に冷静な自分ももう一人いて、「あ、これで人生終わった。」と振り返り、悔いなく自立生活もできたし良い人生だったと思ったりしながら、なんだか頭の思考回路がおかしくなっていて天井を見つめていました。そうする間に救助隊の人が幾人も家の中に入ってきて、私は「逃げます。車椅子は諦めてください。」と言われ、あっという間にベランダからはしご車に抱えあげられたまま乗せられて、次の瞬間気が付いた時には路上に敷かれた救護毛布の上に寝かされていました。皆が混乱している時、周囲の人達は冷静に話を聞いてくれません。毛布の上に横たわり座っていなかったことで重傷患者と認定されて緊急搬送されそうになるのを、座れないのは普段からの脳性麻痺という障がいであることを介護者と共にやっと伝え、事なきを得ました。

しかし、こういうことが起こった時にはその後の安全を確保するため、身元引受人の家に保護されなければならず、そうでなければ公的な障がい者施設に身を寄せるしかない状況になることを初めて知りました。その時は、活動していた団体の代表宅に引き取ってもらう事ができ、施設には行かずに済みました。当然のことですが、消防車で建物ごと水をかけた住宅はちょっとやそっと拭いたりするぐらいでは、元通りになりません。その当時はまだ実家の家族も元気だったので、しばらく実家からアパートに通いながら家を復旧したことを覚えています。

 そもそも、この住宅に住んでいた間は火事の他にも様々ありました。例えば、買い物から帰ってきたら家の前に消防車が止まっていて「何か事件かな?」と他人ごとに思っていると、自分の家が漏水で水浸しになっていて、衣類も布団もすべてがびしょびしょで復旧にお金もかかって大変だったり、下水管が詰まってトイレが溢れたりするなど、家が古いということにまつわる苦労には事欠かない暮らしを余儀なくされ、日常的に心落ち着かない日々でした。そんな中で二回目の火事が発生し、その火事はなんと私の住んでいた真下が火元でした。

夕食を食べようと考え、煮炊きが始まった頃に焦げ臭いにおいが立ち込めてきたので、何か焦がしたのかと最初一瞬考えました。しかしそれはただ焦げたというようなにおいではなく、廊下やベランダを開ければ開けるほど、「これはまた火事だ。」とすぐに分かる感じでした。一回目の火事と違うのは火の手が上がるという感じではなく、ボヤで燻っている感じで私たちそのものが燻されている状況でした。二回目の時は炎上する可能性が高くなってきたらすぐに逃がしてくれるということで、十人くらいの消防士さんが家の中で待機してくれていました。要援護者リストに一回目の火事で載っていたために、二回目はスムーズに救助され、手動車椅子で階段を下ろしてもらう余裕もあったのでとても助かりました。ここで感じたことは、日頃から私がここに住んでいることを知ってもらっておくことの大切さで、「備えあれば憂いなし」を実感しました。また「天災は忘れたころにやってくる」とは言われますが、十年もの短い期間に二回の火事を経験するとは、自立生活は本当に何があるか分からないと実体験しました。

 やはりこの一軒目の家は私にとってとても住みづらく、六年目の時に二十代の介護者しか私の介護には入れないという年齢制限をつけざるを得なくなりました。しかしそれでは介護者の確保ができず自立生活を継続することは難しいと思い、行政の移動用リフトという制度や屋内移動設備という制度を活用して介護用リフトをベッド・トイレ・浴室にそれぞれ設置し、室内で車椅子から降りて身体を移乗させることを機械化しました。一軒目の家は一般の狭いトイレや浴室だったので、本当に無理やり介護用リフトを導入して使っていました。次回は、その介護用リフト導入の経緯をもう少し掘り下げて伝えると同時に、東日本大震災をきっかけに現在の住宅に引っ越す事ができ、今の生活に至った経緯を書いていこうと思います。

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渡邉由美子
1968年6月13日生まれ 51歳
千葉県習志野市出身
2000年より東京都台東区在住
重度訪問介護のヘルパーをフル活用して地域での一人暮らし19年目を迎える。
現在は、様々な地域で暮らすための自立生活運動と並行して、ユースタイルカレッジでの実技演習を担当している。