支えてほしいし、支えたい

森山由記子


はじめまして 3月入社の森山由記子(もりやまゆきこ)と申します。

先日、久しぶりに大きな地震がありました。
私が阪神淡路大震災を経験したのは20歳、大学生のときでした。大学のキャンパスは被害が大きかった神戸市東灘区にあり建物は全壊。同級生も命を落としました。「なんで〇〇ちゃんは死んでしまったんやろ。なんにも悪いことしてないのに。じゃあ私は、今生きてる人はなんで死ななかったんやろう・・・」と自問する日々が続きました。

その後「〇〇ちゃんが亡くなったのは不運だったのではなく、今生きてる私たちの方が奇跡なのかも」と思うようになりました。その気持ちが20年以上もどこか根底に存在していたのでしょう。いつ命を落としても後悔がないようにしようと思っていました。

娘が中学2年生になったころ、学校で進路を考える探求活動というのが始まりました。Web上のアンケートに答え職業の適性を検証したり、最近の様々な職業について調べて将来の目標を見つけるもので大学進学のモチベーションになります。(AIには出来ない職業とのこと)娘と一緒に調べるうちに私自身が「今の仕事も好きだけど、人と関わる仕事がしたい」と思うようになりました。誰かのために私ができることを何かして差し上げたい。そして私も誰かに支えてもらいたい。(笑)

私が自治会の会長を経験したこともあり、地域でお声をかけていただいた活動に参加させて頂きました。民生委員さんと一緒に友愛訪問活動(高齢者見守り)、地域NPO法人の活動、県立大学さんとの地域共同研究会、アンカー神戸(異業種交流課題解決プロジェクト)、地域福祉センターを運営するふれあいのまちづくり協議会、神戸市ひきこもりサポーター、神戸市こべっこランド療育サポーター、不登校訪問専門員、放課後等児童デイサービス。

両親、夫、娘達の理解と協力があり、2年ほど好きなだけ地域活動に参加しました。年齢も性別も経歴も異なる様々な方と知り合いになり、土日も祝日も返上で忙しくも充実した日々を過ごしました。セミナーや講座、オンラインMTGなど久しぶりに勉強を頑張りました。そのうちにボランティア活動より人に近づいた活動がしたい、仕事としてプロとして取り組みたいと思うようになりました。それが転職のきっかけです。

私は子供の頃から友達や先生に恵まれ社会に出てからも会う方は良い方ばかりで人間関係に困った記憶がありません。実際に今、こちらの会社の方々は皆さん親切で話しやすく面倒見がよい方ばかり。おそらく職業柄ですね。今回の転職、特に家族を神戸に残して2か月間横浜に研修に来ることは大きな決断でしたが、日々が楽しくこのお仕事この職場に引き寄せられて導かれてきたんだなと感じております。

人は一人では生きていけないし家族だけでも無理があります。
残り半分の私の社会人人生で、人と人の支えあい、支援の循環、ご縁を大切に自分ができることを自分らしく取り組みたいと思っております。

皆さま、どうぞよろしくお願いいたします!

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