第14回 イメージと実態のギャップ
皆さまは、最近テレビを見ているだろうか。私は若い頃はよく見ていたが、8年前の頸椎の治療のための入院をきっかけに見なくなり、特にこの2年ほどはほぼ見ていない。入院時にテレビが有料で、特に見なくても問題なく過ごせることに気づき、ここ最近は新型ウイルスか戦争の話題ばかりで気が滅入るというのが大きな理由だ。
インターネット環境の整備によって多様な媒体からニュースにアクセスできるようになったこともある。アラフォーの私ですらそうなのだから、より若い世代はもっとテレビを見る時間は少ないのだろう。
私が本格的にテレビ離れをする以前から、疑問だったことがある。
それは、毎年8月に某民放で放送される丸一日以上にわたる番組のことだ。身近なヘルパーや障害者仲間でこの番組を好きだという人はほぼ聞いたことがないのに、ここ数年でも平均15%程度の視聴率を稼いでいることが不思議で仕方なかった。
番組のホームページによれば、「高齢者や障害者、途上国の福祉の実情を視聴者に知らせるとともに広く募金を集め、思いやりのあふれた世の中を作るために活用する」という意図で企画されたのだという。
そして今後に向けては「福祉・環境・震災復興の三本柱を支援の対象に掲げ、さまざまな理由で苦しんでいる人々をこれからも支援していく」とある。
この番組が一定の割合の人を惹きつける“魅力”とは何なのだろうか。そして、私がなぜ疑問を感じるのかを考えてみたい。
番組内容で目立つのは、障害者が何かに挑戦する企画だ。健気に頑張る姿を見て、心を動かされる人が少なくないのだろう。
しかし、なぜ障害者に挑戦させるのか。それを考えていくと、私にも思い当たる節がある。私は新しいヘルパーや入浴サービスの看護師など、初対面の人と関係をつくらなければならない機会が多い。新たに来るスタッフには、前情報として私が教員免許を持っていることが共有されていることがある。そしてたいていの場合、私に向かってこう言うのである。
「障害者なのに教員免許を持っているなんて、本当にすごいですね」
このセリフを聞く度に「またか」と感じてうんざりする。障害者「なのに」というところがとても気になるのだ。なぜなら、この言い方には大きな病気や障害のない人と比べてより頑張った、素晴らしいというニュアンスが含まれるからである。
もちろん、差別してやろうなどという気はないことは理解できるし、私の努力を認めてくれているのだから、悪い気はしない。それでも、どうしても違和感が拭えない。
学生時代を振り返ってみると、友人達や先生方、家族、ヘルパーなど、周囲の多大なサポートがあったからこそ私は教員免許を取得できた。様々な面での工夫が必要だったし、脳性麻痺を抱えた障害者が教員免許を取得した例は珍しいことはたしかだ。しかし、だからといって病気や障害のない人よりも頑張ったと自分で思ったことは、一度もない。私はただ、やりたいことに向かって一歩ずつ歩みを進めただけなのだ。
先に挙げた番組の企画と私がうんざりする会話に共通しているのは、「障害者は常に苦しんでいる」という、漠としたイメージに端を発するということではないだろうか。
特にここ最近、メディアは物事の実態を伝えるよりも、より多くの人の耳目を集め、かつ“受け入れられやすい”エモーショナルなストーリーを選んで伝えているように感じてならない。だから、障害者は「常に苦しみながらもなんとか生きている、手を差し伸べるべき存在」として描かれるのだ。
障害者と直に接する機会がないままに、メディアからの表面的な情報によって「大変そう」というイメージを形作ってしまう人は少なくないのだろう。それが障害者を支援しようという動機になればいいではないか、という意見もあるかもしれない。だが、実態と乖離したイメージを持ちつつ接することは本当の意味での相互理解にはつながらない。
第9回のコラムでも書いたが、私の体は不便なもので、ヘルパーや家族のサポートがなければ日常生活を送ることも難しい。しかし、だからといって私は常に苦しんでいるわけではない。嬉しいことも楽しいことも、また時には辛いことも悲しいこともある。そして、これは障害の有無とは関係ないと思っている。例に挙げた番組への私の疑問は、世間が障害者に対して抱くイメージと私が感じることのギャップから生じていたのだ。
どの社会にも、特定の性質を持つ人へのステレオタイプは存在する。それは得てして実態とはギャップがあるものだ。
私はヘルパーに「拓さんは障害者っぽくないですよね」とよく言われる。その時、ヘルパーが私のことを人として理解し始めてくれたと感じ、温かい気持ちになるのだ。一方で、これはまさに”障害者っぽい”というイメージが世間に存在する証拠といえる。
利用者とヘルパーがより良いケアをつくっていくためにも、多様な人がそれぞれの居場所で活躍できる社会をつくるためにも、本当の意味での相互理解が欠かせない。そのために必要なことは、当事者と時間を共有し、それまでの思い込みを捨てて素直な心で接することではないだろうか。特に介護と医療の関係者は、病気や障害を持つ人と接する機会が多いのだから、メディアが描く表面的なストーリーやつくりだすイメージに惑わされないでほしい。
そして、当事者は勇気を持って発信していってほしい。私も体が続く限り、研修で語り、また文章を書き続けていくつもりでいる。私のような発信をする人が増えて、多様な意見があるのが当たり前の世の中になるまで。
加藤拓(かとう たく)
1983年生まれ。生まれつき脳性麻痺による身体障害者で、現在は毎日ヘルパーのケアを受けながら、「皆で考えてつくる医療と介護」をモットーに、講演活動やワークショップの開催を続けている。2020年7月からはヘルパー向けの研修講師も担当している。 趣味はゲームと鉄道に乗ること。