第16回 バリアフリー化の進捗から見えてくること
今年の10月14日で、日本で初めての鉄道が開業してから150周年を迎えるという。このコラムの最後の自己紹介欄にある通り、私は鉄道ファンだ。初めての路線や車両に乗るとワクワクするし、乗務員の動きや駅の放送などにも注目してしまう。そして、私も母も自動車の運転免許を持っていないため、鉄道は貴重な移動手段でもある。通勤も通院もほとんどが電車移動だ。
思い起こせば、就学前、両親に抱き抱えられていたころから私は電車が好きだった。特に車掌が好きで、走り去っていく電車と車掌に向かって手を振り、車掌からも手を振ってもらうととても機嫌がよかった。
小学校に入学し体が大きくなってからは、私の遠出はもっぱら父や祖父の車かタクシーになった。車椅子を積み込みdoor-to-doorで移動できるのは、車の魅力である。しかし、通院等の外出の度に父が仕事を休んだり祖父を呼んだりするのは大変で、大学生になった頃から電車を利用するようになった。それが可能になったのは、エレベーターが設置された駅が増え、車椅子ユーザーも気兼ねなく利用できるようになってきたからだ。
2000年代以降、バリアフリー化を推進する法整備がなされ、鉄道やバス等の事業者だけでなく社会全体が費用を負担することで、今では都心のほぼ全ての駅に段差のないルートが確保され、バスもノンステップの車両に置き換わった。私が大学生の頃と比べても、車椅子ユーザーにとって公共交通機関は格段に利用しやすくなったと感じる。係員の対応もスムーズになり、本当にありがたい。
これまでの法整備とバリアフリー化の推進は、障害当事者の粘り強い働きかけが結実したものだ。今後は、バリアフリー設備の地方交通への普及、整備済みの大都市でのメンテナンスとさらなる充実をどこまで実現できるかが課題になってくるだろう。エレベーター等による段差解消はもちろん、ホーム上の安全のためホームドアの設置をより早く進めるべきという声もある。
なぜ進まないのかと苛立ちを覚える人もいるかもしれないが、予算を多く確保すればいいという単純な話ではないのだ。エレベーターを設置する場合、スペースや動線の確保、耐震強度の問題などのハードルがある。ホームドアを設置する場合、路線ごとに車両の規格統一と停止位置を正確にサポートできるシステムの導入、ホームの補強等の対策が必要だ。
もちろん、このような「みんなのため」の設備は、1つでも多くの駅に早く設置できた方が良い。だが、縮みゆく日本の限られたヒト・モノ・カネで整備を進めるのだから、「みんな」の話し合いをもとに優先順位を決め、限界についても考えなければならない。
他方、公共交通機関等によって移動の足を確保することは人が社会参加するために必須であり、それを権利であるととらえる考え方もある。社会へ訴える力を強めるため、あえて権利という言葉を使ったのかもしれない。私も概ね賛同するが、一部の障害当事者に見られる、権利なのだから環境整備してくれて当然だ、というような主張は控えるべきだと考えている。権利が“ある”ことと、権利を“行使できる”ことは全く違うからだ。
人が権利を行使できるのは、その環境を整え、維持し、現場で対応してくれる他の人達がいるからで、当たり前ではない。権利という言葉を使うなら、より多くの人が権利を行使できる環境を維持するために、障害当事者も建設的かつ現実的な話し合いをすべきだ。
昨年、電動車椅子の利用者が事前連絡をせず無人駅に行くことを希望し、対応してほしいと迫ったことがあった。その利用者がSNSで発信しニュースになったが、これは前回のコラムで書いた、相手の理解と共感を引き出す行動だろうか。私には、建設的な話し合いに資する行動だとは到底思えない。設備を整備してほしい、事前連絡なしでも対応してほしいと訴えるのはただの“要求”であって、話し合いではないのだ。
権利を盾に、対応してもらえない現状をアピールしていればいい時代は終わったのである。
また、設備の整備さえすればいいわけでもない。鉄道を利用する際に、案内する駅員が明らかにヘルパーの方を向いて「お客様、◯◯駅まででよろしいでしょうか」と話しかけることが少なからずある。私も何度も経験し、その度に腹立たしい気分になる。確実にやりとりをして間違いのないようにという心理が働くのかもしれないが、あくまで主体は利用者であって、まずは利用者に声をかけるのが筋であり、礼儀というものだろう。
その後、会話が難しい利用者の場合はヘルパーがサポートすればいいのだ。このように接遇面での課題はまだ散見される。私は昨年から、交通事業者向けの接遇研修に関わる機会をいただいている。そういったことを通して、つくった「仏」に「魂」を入れていくお手伝いを今後もしていきたい。
私は電車やバスの乗り降りの際に、案内してくれた係員に必ず一言お礼を伝える。私の移動の足を守り生活を支えてくれていることは、ありがたいと感じるからだ。逆に係員からも「ご乗車ありがとうございました」と言われる。利用客がいるから交通機関は成り立つのもまた事実である。この関係は、利用者とヘルパーや、患者と医療者のそれにも通じるのではないだろうか。お互いの存在や提供されるサービスを当たり前とは捉えず、感謝の気持ちを持てば、課題を共有し前向きに話し合っていくことはきっとできるはずだ。
社会制度がある程度整備された今だからこそ、感謝の気持ちをというものを忘れてはならないのだと、感じずにはいられない。
加藤拓(かとう たく)
1983年生まれ。生まれつき脳性麻痺による身体障害者で、現在は毎日ヘルパーのケアを受けながら、「皆で考えてつくる医療と介護」をモットーに、講演活動やワークショップの開催を続けている。2020年7月からはヘルパー向けの研修講師も担当している。 趣味はゲームと鉄道に乗ること。