利用者・加藤拓の経験”知”

利用者・加藤拓の経験”知”

加藤拓




第3回 利用者とヘルパーのコミュニケーション(前編) ~目的とあり方を考える~


前回のコラムの最後に、ヘルパーと外出して色々な経験を積み重ねた先には、自分も想像しなかった世界が待っていたと書いた。私自身、ヘルパーのケアを利用するようになっても、まさかコラムの連載をさせてもらえるようになったり、ヘルパー向けの研修講師を担当するようになったりするなどとは想像もしていなかった。今でこそ私は医療と介護の分野を中心に仕事をしているが、受験は最もハードな理系と言われる数Ⅲ物理で大学時代は理工学部数学科で学んだ。そのためか、言葉の定義に敏感で、それがあいまいなまま使われているととても気になってしまう。その最たるものの1つが「コミュニケーション」だ。昨今ではどんな仕事にも必要で、就職・転職活動でもアピールすべきポイントとされている。だが、コミュニケーションという言葉の意味を淀みなく答えられる人は多くないのではないだろうか。

辞書によると、コミュニケーション(communication)の語源はラテン語のコムニカチオ(communicatio)で、「分かちあうこと、共有すること」という意味だという。巷では自分の意見を伝えることだと捉える向きもあるが、原義に照らせばそれでは不十分だとわかる。私は、コミュニケーションとは目的を達成するために必要なことを共有することだと考えている。では、利用者とヘルパーが共有すべきことは何だろうか。以前から書いてきたが、ケアの目的は利用者の日常生活を支えることだ。ならば、利用者とヘルパーが共有すべきことは、ケアを安全でスムーズに行うために必要な情報ではないだろうか。

たとえば、私はヘルパーとこんなやりとりをすることがある。

(ヘルパー)「拓さん、おはようございます」
(加藤)   「おはようございます」
(ヘルパー)「まずは布団片付けますね」
(加藤)   「・・・イヤです(笑)」
(ヘルパー)「(笑)はい、どけますよ(笑)」

(加藤が寝返りをうち布団から降りる)

(加藤)   「いやぁ、昨日はミーティングで帰りが遅くってねぇ、腰痛いのよ」
(ヘルパー)「おや、お疲れですか?」
(加藤)   「うん?まぁねぇ、絶好調な日なんてあんまりないけどね(苦笑)」

私は自室では寝転んで作業をすることが多く、床にパソコンやゲーム機などを置いている。夜も布団で寝るので、朝のケアはしばしばこのような冗談混じりの「攻防」でスタートする。私は手すりがあれば立ち上がりやつかまり立ちはできるが、疲れ気味で腰が痛いのならば、車椅子からトイレへの移乗などの立ち上がりの際に、より強めにサポートするなどの工夫は考えられる。このような何気ないやりとりの中からも、ケアに活かせる情報を自然に共有できるのだ。

また、最近あるヘルパーから「腱鞘炎で手首が痛いから外出先でのトイレ介助などの移乗には時間がかかるかもしれない」と打ち明けられたことがあった。ちょうど家電量販店に用事があり、出発前だったため念のためもう一度トイレを済ませたところ、帰宅までトイレに行くことなく、移乗の回数を最低限に抑えることができた。これはヘルパーが正直に伝えてくれたからこそできた工夫だ。自分の不調を伝えるのは気が引けるかもしれないが、伝えてくれなければ利用者にはわからない。安全でスムーズなケアに必要な情報は、利用者に関することだけではない。

さらに言えば、ヘルパーの得手不得手も利用者にとっては大切な情報といえる。私のケアに入るヘルパーの中には、調理は絶対にしないかわりに夜遅くの外出まで対応してくれる人がいたり、時間通りに帰れないと困ると宣言しているがある程度何でもこなしてくれる人がいたりと、様々である。手書きの書類の代筆は字がきれいな女性ヘルパーに頼み、外出は可能な限り男性ヘルパーの時にこなすなど、それぞれが得意なことを中心にお願いするようにしている。わざわざ不得意なことをお願いしても、スムーズに進まず雰囲気も悪くなり、お互いにメリットはないからだ。私のように「人を見て」お願いするケアを調整している利用者は、少なくないだろうと思う。失礼な物言いかもしれないが、逆に言えば、一人で何でもできなければ、などと考える必要はないということでもある。その利用者のシフト全体で考えて、大きなストレスなく日常生活を送れていればよいのだ。

また、私の場合は人と話すことが好きだからコミュニケーションの方法は会話が中心となる。重度訪問介護で長時間のケアが多く、雰囲気が悪くては辛いということもあり、それぞれのヘルパーと良好な関係を維持できるよう努力している。だが、それも利用者ごとに違うだろう。私は、互いの状況やその日の状態などを気兼ねなく話せる程度の関係である方が好ましいと感じるが、必要以上に仲良くする必要はないと考える利用者もいるはずで、それも間違いではない。コミュニケーションを通して関係をつくっていくことは、スムーズで安全なケアによって日常生活を支えるための手段であって目的ではないことを、忘れないようにしたいものだ。

ヘルパー向けの研修講師を担当していて、受講者に「これからケアで大切にしたいことは何か?」と問いかけると「利用者とのコミュニケーション」と答える人は必ずいる。それは違うと言う人はまずいないし、私もそう思う。しかし、コミュニケーションという言葉の原義を確かめ、その目的を自分なりに整理できている人は、どれだけいるだろうか。

利用者の日常を支えるケアを安全でスムーズに行うために必要な情報を共有すること

というのが、現時点での私の考えである。それぞれの立場で、コミュニケーションの目的やあり方についてもう一度考えてみてほしい。私も、日々のケアや研修での経験を積み重ねながら、引き続き考えていきたいと思っている。


加藤拓(かとう たく)
1983年生まれ。生まれつき脳性麻痺による身体障害者で、現在は毎日ヘルパーのケアを受けながら、「皆で考えてつくる医療と介護」をモットーに、講演活動やワークショップの開催を続けている。2020年7月からはヘルパー向けの研修講師も担当している。
趣味はゲームと鉄道に乗ること。




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