利用者・加藤拓の経験”知”

加藤 拓



第23回 考え続ける忍耐力、行動する勇気

皆さまが新年に必ずすることはあるだろうか。私は決まった神社に初詣に行き、おみくじを引いてベビーカステラを買って帰ることをルーティンにしている。正月から容赦なく凶が出ることもあって面白いゆえ、そのおみくじをSNSに載せることも多い。しかし、冷静におみくじを読んでみると、焦ってはいけないとか、何事も最後までやりとげるようにとか、書いてあることは誰にとっても「まぁそうだよね」ということばかりなのだ。私を含めて、それでも多くの人がおみくじをひくのは、年の初めに運を試すと同時に、何かアドバイスのようなものを欲しているということなのかもしれない。

私たちの世界は本当に何が起こるかわからないものだ。新たなウイルス感染症によって社会がここまで歪み、混乱することも、安保理常任理事国が堂々と隣国を侵略することも、為替が乱高下して物価が上がり続けることも、予測できた人はほぼいなかっただろう。今年も何が起こるかわからない中で、私たちは生きて社会を動かしていかなければならない。しかし、特に日本では新たな事態に直面した際に、答えがわからないまま模索し続けたり、答えを作り出したりすることができる人が少ないように感じる。その原因はおそらく、教育にあるのだろう。日本の識字率はほぼ100%であるし、学力も低下傾向にはあるが諸外国と比べて取り立てて低いわけではない。ただ、解けるように設定された問題はできても、学んだことをベースに考えて新たな課題を見つけたりそれに取り組んだりする機会が、まだまだ足りないように感じるのだ。

今から15年ほど前、私は就職活動の壁を乗り越えられず次の所属先が何もないまま大学院の修士課程を修了してしまった。手元にあったのは「数学」と「情報」の教員免許と、教育に関わることで自分も社会の力になりたいという思いだけである。就職できなかった障害者の多くは、作業所に通って平日を過ごす生活をする。行政側が用意した“推奨ルート”は、おそらくそちらだろう。就職するにしても、障害者の就職といえばIT企業だという見方が多く、大学の先生方もキャリアセンターの方も、そのような観点からのアドバイスが多かった。それでも、私は直に人と接し、伝える仕事がしたかったのだ。

教育現場に触れ、自分の思いを知ってもらう場を見つけなければと考えた私は、都内23区より西にある特別支援学校が開講しているボランティア養成講座を受講した。この講座は、夏休み期間にその学校の教員が講師となり、主に地域住民や地元の高校生などを対象に、車椅子の扱い方や食事介助の仕方、車椅子での鉄道の利用など、障害者へのサポートの仕方を伝えるというものだ。障害者への理解を深めていくことも、目的の1つなのだろう。連続5回の講座の中で、私は受講者として参加しつつも当事者の視点からのコメントをしたり、実技の際の練習相手になったりと、自然に講師と受講者の間をつなぐ立ち位置になっていた。
当時、講座の受付担当だったF先生から、なぜ新宿からはるばる参加したのかと尋ねられた。地元の人向けの講座に、わざわざ新宿から電動車椅子で参加するのだから、聞きたくなるのも無理はない。私がそれまでの経緯と思いを伝えるとF先生は「本来なら、加藤君のような人が教壇に立てる教育、学校現場であるべきだと思う。現実的には課題は多いと思うけれど、頑張ってほしい」という言葉をかけてくださったのだ。暗中模索していた私にとって、この言葉は暗闇を照らす光のように感じられた。とても大きな勇気をもらったが、F先生とのつながりはそれだけでは終わらなかった。講座を終えたその年の秋に、F先生はその特別支援学校で行われた教員研修会を兼ねた講演会の演者として、私を呼んでくださったのである。学校での自身の体験を話し、さらに教員研修会でも発言する機会をいただいた。もちろん、講座に参加してみようと決めたとき、そんなことは予想もしていなかった。しかし、わからないなりに努力し考え続け行動をした結果、私はF先生と出会いチャンスをもらうことができたのだ。
この一連の出来事を通して、私の仕事の仕方、社会との関わり方の輪郭がおぼろげながら見えてきたのである。自分自身で見つけた一筋の光は、確かな自信となって私の力となり、今の仕事にも活かされている。

学校の定期試験や入試のように設定された“解ける問題”に慣れ親しんだ私たちにとっては、誰かに教えられた通りに考え、暮らす方が圧倒的に楽だろう。しかし、利用者それぞれのケアに“正解”が存在しないのと同じように、私たちが社会に出てから取り組まなければならない課題は、そもそも答えがあるかどうかわからないものも多い。私も15年前は、自分が進む道が本当にこれでいいのか分かるはずもなかった。それでも、F先生との出会いをきっかけに、私は進むべき方向を見つけることができたのだ。わからないまま悩み考え、模索を続けることは誰にとっても苦しい。だが、正解がわからない状況はチャンスでもあるのだ。自分なりの模索を続け、出会った人から学ぶことで掴んだものは、きっと自身の血肉となってその後に活きてくる。先の見通せない時代になったといわれるが、今まで先の見通しがはっきりしていた時代などあったのだろうか。私たちの人生も社会も、いつだって先のことはわからない。だからこそ、耳障りのいい言説を盲信せず、政府や専門家の発信も鵜呑みにせず、自ら考え模索し、行動する勇気を持つ人が増えてほしい。また、そんな人を育てる教育に変わってほしいと、願わずにはいられない。


加藤拓(かとう たく)
1983年生まれ。生まれつき脳性麻痺による身体障害者で、現在は毎日ヘルパーのケアを受けながら、「皆で考えてつくる医療と介護」をモットーに、講演活動やワークショップの開催を続けている。
2020年7月からはヘルパー向けの研修講師も担当している。 趣味はゲームと鉄道に乗ること。



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