私と介助者

渡邉由美子



1.障害の状況
私は、重度の脳性麻痺という身体障害を持ちながら19年間地域で一人暮らしを続けてきました。
 
  出産時のトラブルが原因で極小未熟児による新生児仮死の状態で1030gの紫色をした赤ちゃんとして、命を取り留めるのがやっとという状況でこの世に誕生しました。その後遺症で日常生活全介助、立つことも、歩くことも、床に座ることも、寝返りを打つことも出来ない状態です。
 
  そんな私が介助者と共に暮らしてきた19年を様々なエピソードも交えて、これからご紹介していきます。
 
  2.介助の出発点
  私の介助の出発点は家族介助であった為に、不自由があれば自然とそれをカバーしてもらえる、そんな環境で32年間暮らした後に両親の高齢化を機に、施設や病院ではなく、他人介助を常時お願いしての一人暮らしが始まりました。家族介助と他人介助ではやってもらう行為そのものは類似していても、その主体を担う存在が全く違い、最初の5、6年はとても続けていけないのではないかと思うほど、生活そのものが大変でした。他人介助をお願いするまでは、身体介助の方法を説明することもありませんでした。私の身体のどこに触れ、どのように介助してもらったら、日常生活が成り立つのか全く分からない状態からの一人暮らしのスタートでした。本人が全てにおいて、どうして欲しいのか分からないのですから、時間で派遣されてきた介助者も一体何をすればよいのか戸惑うことの連続でした。良かれと思って介助者が、例えば洗濯物を片付けてくれる、冷蔵庫を覗いて食事の一品を作ってくれることなどがあっても、私は自立生活を始めたのだから勝手なことしないでと反発し、無限の自由を求め、介助を拒否した草創期の時代もありました。今でも、介助者との人間関係において、これが正解と確信できたものは何一つありませんが、それでも最初の頃よりはこうすれば長年生きていけるのかもしれないという生きる術のようなものを身に付けつつ、暮らしが成り立ってきていることを感じています。介助者は私の一人暮らしの伴走者として、常に必要な存在となりました。
 
  3.介助者とは
  私も、とても変わった性格や個性をもっていると自分自身で感じていますが、介助者ももちろん人間なのでいくら仕事とはいっても、日々に色々な出来事が起こります。私の常識は全ての人の常識ではないのですから、些細なことで感情がぶつかり合ったり、私は健常者になったことが無いので、ありえないスピードで家事をこなすことを求めてみたり、何でもできるはずでしょうと要求してしまっていたりすることが、しばしばあります。当たり前のことですが、得手不得手は皆あり、家事援助が得意な介助者もいれば、外出介助が得意な介助者もいます。その見極めが生活のスムーズさを得るために、的確にできることで一日にやれることが大きく変わってきます。今、このコラムの作成も私が喋ったことを隣でカタカタとパソコンを打ち、してくれている介助者がいるからこそ表現の自由を得ることができたり、私の考えを社会に伝えることができたりするのです。しかし、パソコン作業は電源の入れ方すら分からないし、普段の自分の生活では必要性を感じていないからできないという介助者もいます。年齢で区別する訳ではありませんが、若い介助者はスマートフォンのLINEやメールのやりとり、こういった原稿書きには適した介助者と言えます。
 
  料理や縫物、掃除が得意という介助者が来ると、基本的な日常生活のグレードがうーんとアップします。そんな風にして、自分のやりたいことがなるべく全て可能になるような人を見極める力が必要だと改めて最近感じるようになってきています。
 
  4.介助者と共にある私の暮らし、良いこと・楽しいこと
  普段の生活の中で、自分でできないことを私の指示の元、自分の手足がもし普通に動いたら「ああしたい、こうしたい。これもしたい。」ということを、介助者を介して行っています。なかなかやりたいことの真意が伝わらない時もありますが、その反面、「そうそう、そうして欲しかった。」ということが伝わった時は、お互い何とも言えない満足感と充実感を味わうことができます。心が通じ合う血の通った介助が成立する瞬間です。家族でも、友達でもない独特の人間関係ですが、長い時間共に過ごしていれば、お互いを思いやり、助け合って生活することができるようになります。そんな関係性が築けたら、たまには共に少し遠出をして、桜の季節には桜を観賞したり、美味しいものを一緒に食べに行って満足感を得たりというような心を許す介助が成立するようになり、暮らしがただ日常の身体介助や家事援助といったルーティンワークにとどまらず、生活の質、クオリティオブライフを求めることのできる状況となります。そうなった時、介助を受けて地域で生きていて本当に良かったと思える瞬間が訪れます。これが私の求める理想の介助です。いつも楽しく、穏やかに生きていたいと思います。
 
  介助は、私がこの世からいなくなる瞬間まで必要なものです。時には、感情のぶつかり合いや些細なすれ違いによって荒波がたち、不穏な空気が漂うこともありますが、人間同士だからこそ起こるそのような状況も幾多に乗り越えて、介助者と共に生きる人生を全うしたいと思います。
 
  最後に、私にとっておはようからおやすみまで、24時間365日必要な介助を担う人材が少しでも増え、一人一人の負担が小さくなることによって、「障害者の地域生活を支える仕事って楽しい。もっと深めてみたい。」などと発展し、知人、友人にもこんな重度訪問介護という仕事があることを伝えようと思いたくなる気持ちが高まり、重度な障害者も地域で個別に自分の夢や希望を捨てずに生きられる社会の実現に向けて、微力ながら私にできる社会参加活動を介助者と共に推し進めていきたいと思います。
 
  このコラムを読んでくださった皆さま、「少しでも障害者の暮らしってどんなもの?知ってみたい。」と思ったら、介助を仕事として是非やってみてください。そのことによって、地域で暮らすことが可能になる障害をもつ人が増えるきっかけともなるのです。人には本当に様々な生き方があります。それは、障害者も健常者も同じです。あなたと共鳴し合う生活を築き、明日への活力とできれば、とても嬉しいです。
 

渡邉由美子
1968年6月13日生まれ 51歳
千葉県習志野市出身
2000年より東京都台東区在住
重度訪問介護のヘルパーをフル活用して地域での一人暮らし19年目を迎える。
現在は、様々な地域で暮らすための自立生活運動と並行して、ユースタイルカレッジでの実技演習を担当している。

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