第29回 広がる匿名社会、薄れゆく責任感
私は月に一度大学病院の漢方外来に通っている。このコラムの強気な書きぶりとは裏腹に、私は精神的な緊張やストレスで下痢をしやすく、それを抑えるための漢方薬を処方してもらうためだ。もらった処方箋の写真をかかりつけ薬局に送信しておき、待たずに薬を受け取るのがいつもの流れなのだが、最近その薬局に気になる変化があった。
以前はスタッフのユニフォームの色で薬剤師、事務、管理栄養士などの資格や立場が一目でわかったのに、ユニフォームの色が統一されてかえってわかりづらくなったのである。
身につけている名札の色が違うため、よく見ればわかるのだが、個人的には以前の方がわかりやすくて良かった。こういったことは多職種によるチーム医療を推進するための「良い取り組み」として厚労省のオススメなのだという。
チームとしての一体感を高め、同時に医療者間のヒエラルキーをなくすことがねらいだそうだが、私はそれに納得しかねる。さらに言えば、日本社会の悪癖の一端を垣間見た気がしてならないのである。
そもそも、医療の世界は資格によってできる処置やケア、判断できることが厳格に決められている。
私が頸椎の治療後のリハビリ入院をしたときに、看護助手に「筋肉痛で湿布を貼り替えてほしい」と頼んだら、「ちょっと看護師さんに聞いてこなければいけないので、少し待ってください」と言ってすぐには対応してもらえなかった。ただ湿布を剥がして同じ場所に貼るだけなのに大げさなものだと当時は感じたが、そういうものなのだろう。
チーム医療を旗印に多職種が患者とともに考えて進める医療は大いに推進すべきだと思うが、権限も専門性も全く違う人たちが同じユニフォームを着ている方が私には違和感がある。さらに言えば、チームが機能するために大切なことは
①目標を共有すること
②それぞれが自身の能力を発揮し、立場に応じた役割をこなすこと
③必要な情報が適時に共有されること
④互いに意見を言いやすい風通しのよさがあること
である。
ユニフォームを統一することは④には多少寄与するかもしれないが、逆にユニフォームを揃えれば必ず風通しがよくなるわけでもあるまい。
患者を含めたすべての関係者が自分の考えを伝え、互いの意見を聞いて話し合って決めていく文化を作らなければならないのであって、多様な人材が同じ目的のために集まるからこそチームとして機能するのである。
そう考えたとき、医療スタッフのユニフォームを揃えるかどうかは本質的なポイントなのだろうか。
また、医療ではない一般のサービス業にも、従業員の名札を廃止するという気になる動きがある。
レジ係等の接客業だけでなく、バスやタクシーの運転手のネームプレートも検討対象になっているそうだ。プライバシーの保護や防犯面、そしてクレーム対策として仕方ないことは、よくわかる。
しかし、例えば企業の問い合わせ窓口に電話したとき、名前を名乗らない担当オペレーターがいるだろうか。電話に出たときと要件が終わる時、多くの場合「□□会社、担当〇〇でございます/〇〇が担当いたしました」と言うだろう。当然マニュアル通りの受け答えだろうが、少なくとも「〇〇という人が責任を持って担当してくれたのだな」とは感じる。
同じユニフォームで名札もない”店員さん”から、目の前の相手に責任を持って対応しようという気概を、私は感じない。フルネームを出す必要はないしあえて名乗らなくてもいいが、個人的には名札くらいつけていてほしい。
逆に、働く側の立場で考えれば、自身のポジションや立場をあやふやにして名前も出さないような状態で働くということは、完全に“歯車”になりきるということではないか。私ならそんな仕事にやりがいや楽しさを感じられないし、相手に対して不誠実だと感じてしまう。
実際、打ち合わせを含めて介護研修でも学校の授業でも私が名乗らないことはあり得ないし、加藤の話を考えるきっかけにしてほしいという思いを持って毎回語りかけている。余談だが、新しいヘルパーが前任者とともに訪問してくるとき、初対面なのに名乗らない人がいる。
紹介しない前任者もいただけないが、これからケアをする相手に名乗らないというのはどういう考えなのだろうか。大変申し訳ないが、初対面で名乗らないヘルパーへの期待値は大きく下がる。まぁ、そういう人は得てしてすぐに辞めてしまうのだが。
私が大学1年のとき、教職課程の授業で
「君たちが取得しようとしているのは教員免許だ。免許とは、他の人がしてはいけないことを免じて許すという意味だ。だから、もし教員にならなくても免許を取得した自覚を持ちなさい」
と言われたことを、今でも覚えている。私は介護研修でも学校の授業でも、教員免許を持っていることを明かす。
それは講義や授業の流れで必要だからなのだが、あえて自身のハードルを上げることで、受講者や児童、担任の先生方にこんなものかと思われないよう、努力を続けるためでもある。
教員免許と、これまで人前で話してきた経験は、私の誇りだ。相手に対して責任感と誠意を持ち、自身の資格や能力を活かしてできるだけの対応をすることは、良い仕事をするための前提条件なのだ。匿名でのやりとりに慣れた世代が増えたこの時代においても、目の前の相手に真摯な態度で向き合うことの大切さを忘れないでほしい。こんなことを書くと昭和のおじさんと言われそうだが、40歳を迎えても変わらず感じたことを書いていくつもりである。
加藤拓(かとう たく)
1983年生まれ。生まれつき脳性麻痺による身体障害者で、現在は毎日ヘルパーのケアを受けながら、「皆で考えてつくる医療と介護」をモットーに、講演活動やワークショップの開催を続けている。2020年7月からはヘルパー向けの研修講師も担当している。 趣味はゲームと鉄道に乗ること。