塾講師からの転身

渡邊知朗(埼玉東部エリアマネージャー)


私は学生時代、バリバリの理系でした。小学生時代から算数が好きで、理科は好きではなかったですが、内容はすんなり理解でき、通知表上の成績は良かったです。反面、国語や社会は何が面白いのかがわからず、いつも成績が悪かったのを覚えています。そんな学生でしたので、高校生の時、インターネットの普及と共に一家に1台パソコン時代が到来したタイミングもあり、これといって深い考えもなく得意分野の延長である理工学部に進学を決め、漠然と『パソコン、システム関係の仕事でもするんだろうなぁ』くらいの気持ちでいました。

 いざ電気工学科に入学してみると、まず大きな違和感を感じたのを覚えています。公立の小中学校、私立の共学の高校へと進学していた私にとって、200余名の新入生うち98%が男子学生・・・この空間は異常なものに感じられました。また、勉学においても、ただ授業を受けていればついていけた高校までとは違い、必死で習得していく努力をしないものには容赦ない『落第』という措置がなされます。それまでに与えられる形での勉強した事がなかった私は日に日に落ちぶれていく一方でした・・・

 そんな中、私に人生を前向きに考えられる場を与えてくれたのは中学時代の1人の友人でした。彼は自分が大学生になったタイミングで、学習塾でアルバイトをしたいと相談してきて、結果自分が通っていた塾のアルバイトを一緒にすることになりました。アルバイトではありますが、私にとっては自分で働いてお金を稼ぐという初めての体験でした。小中高生達からは毎日元気を分けてもらい、同年代の講師仲間達からは大学の悩み、生徒達に勉学を修めてもらうにはどのようにアプローチして勉強・それ以外の日常でどのように接していくかなど、毎晩のようにファミレスで話し込んでいたのを覚えています。それと同時に自分が勝手に思い込んで描いていた将来像に疑問を感じるようになっていました。『自分が将来やりたいことって直接人間に密に関わる仕事なんじゃない?』と。

 介護業界に携わったのは上記のような、ほとんど思いつきに近いキッカケでした。20歳そこそこだった当時の自分としては必死で考えた結果の選択ではありますが、理工学部を辞めて社会福祉学部に入り直すと話した時の両親との言い合いと言ったら聞くに耐えない物でした・・・。本気で心配してくれていたのも大変によく分かるのですが一度決めたらそれはそれは頑固な子どもでしたから。そして自身が受験生でありながら、高校3年生に勉強を教えているという世にも珍しい塾講師が誕生した瞬間でもありました。子どもの我儘を聞き入れてくれた両親、特殊な状況でも講師を続けさせてくれた教室長には今でも感謝しております。また、余談ですが、私の妻はこの時入り直した大学で知り合ったものですからご縁というのは本当にわからないものです。

 さて、そんなきっかけから介護業界に踏み込んで行ったわけですが、いくら福祉系の大学で勉強をかじったからと言って聞くのと実践するのは大違い。毎日のようにたくさんのギャップや机上の議論ではわからない様々な困難が待ち受けていました。特に認知症を患っておられる方に対する対応は毎日が困難の連続でした。昨日上手く行った対応で今日も上手くいくとは限りません。いかにご本人の主張を受け入れた上での対応ができるか否かで、不穏にさせてしまうかすんなり聞き入れてもらえるかが決まります。ご利用者の仕草、表情、発言などをよく観察し、都度都度対応を変えて接していました。上手くいくこともあれば、対応を間違えて聞き入れてもらえない時もありました。今日はこんな接し方をして上手くいかなかった。それでは次は違った方向からアプローチしてみよう。こんな毎日が講師時代のファミレス談義のように私にとっては楽しく、とてもやりがいのある仕事に感じられました。10年以上継続できたのもご利用者に密に関わる介護の仕事が好きになっていたからだと思います。

 『なぜ介護に』と振り返ってみると
・人にかかわる仕事をしてみようと思った。
・やってみた結果、結構自分に合っていたかもしれない。

といったところでしょうか。

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