私は、なぜ「介護」という仕事を選んだのだろう…。ふと考えてみる…。
何度も考えたことがある。でも、一度も「こんな仕事はもう嫌だ!!」とは思ったことがないのが、自分でも不思議なものだ。
「介護なんて絶対にしたくない。」とか、「よくそんな仕事できるね。」などと言われたこともあるが、どんな仕事も、嫌な部分にだけ目を向けると嫌になるだろうし、どんな仕事も楽な仕事はないと思う。
人によっては、楽な仕事だなぁと思っていても、必ず誰かが難しい大変な業務を引き受け、やり熟してくれている方がいて、いろんなスタッフのできる仕事や得意な分野、こなせる仕事を見つけ、割り振りしてくれているのだということを忘れてはいけないと思います。
介護の仕事を選んだきっかけは、お年寄りが好きだから、看病が好きだから、世話することが好きだから。
面倒を見ることや世話が好きな理由は、自身が長女であったため、子供の頃から、「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい!」「お姉ちゃんなんだから、下の子を見てあげないといけないでしょう?」と教育を受けてきたことや、長年バスケ部に所属していたので、後輩にハンドリングや基礎技術を教える機会があったこと、そして、面倒を見てあげたり、教えてあげたりすることで、「偉いね。」と褒めてくれたり、「ありがとう。」とお小遣いが貰えたりする、<教育と行動の強化>によって、私の脳に定着されきた、「人として良い行動」だからである。
もう一点、自身が幼児期、お家で長く時間を過ごす時期に、祖父母と一緒に過ごす時間が多かったこともあり、20歳からはじめた介護職で、お年寄りの方々と過ごす時間というのは、どこか安心感があったのだ。
介護の仕事をしていて楽しいところは、ケアを受けられる方々の「人生ストーリー」を観ることができる。
今までおよそ300人以上の方々のケアに携わってきたと思います。ケアに携わり支援という交流が始まりコミュニケーションが増えてくると、ケアを受けられる方々の「人生ストーリー」をお聞きする機会が増えます。
私は、その「人生ストーリー」を聞くのが好きで、今まで出会ってきた様々な方々の「人生ストーリー」を、まるで映画を観ているような感覚で傾聴してきました。
私たちの生きたことのない時代の戦争や空襲にあった話、家族のために15,6歳で奉公に出なければいけなかった話、芸子さんをされていたという方のお話、家の跡継ぎ息子が必要で男の子が生まれなかったらという理由で、子供ができないからという理由で、相手方の親族からひどい扱いを受けたり、別れさせられたりした話など、生きてこられた時代や、境遇上苦労話も多いですが、皆さん一人一人に生きてきた「人生ストーリー」があり、一人一人に奥ゆかしい魅力があります。
産業や文明が開化していない時代、開化していった時代、色々な国の生活様式が取り入れ、今や家も施設もユニバーサルデザインで暮らしやすくなりました。何もないところから暮らしや生活が豊かになるように、日本という歴史や文化を築き上げてこられた方々や、差別や偏見や人権侵害に遭いやすい障がいを持たれた方や、難病のため長期治療が必要で、健常者のようには生活を送ることができない方々が、一般の人と同じように最低限度の生活を地域で送ることができるように、運動を続けてこられた方々など、できるだけ多くの家族世帯や単独世帯も含め、良い介護支援関係を築けるようにサポートしてゆくことを念頭におき、看護や介護で働く方々の安全配慮義務が続けられるよう、看護・医療・介護の職に就かれる方が、今後一層増えることを願います。
<プロフィール>
川邉 会美 1980年9月23日生まれ
華頂短期大学 生活学科 生活科学学部 卒業
(職歴)学生時代は、歯科助手・ケーキ販売・百貨店での短期バイト。高校の時、福祉の仕事に興味を持ち、当時の特別養護老人ホームへボランティア参加をきっかけに、短大でヘルパー2級を取得後、20歳から老人介護保険施設で2年弱働き一度退職。その後、美容業界に興味を持ち、リンパマッサージや痩身、カウンセリング(心理学分野)に興味を持ち、エステ企業に就職するが、高額なコースや商品を勧めなければならない、理想と現実のギャップに愕然とし1年弱で退職。耳鼻咽喉科の診療補助を3年弱経験。24歳で第1子、26歳で第2子を出産後、子育て中でも時間の融通が利きやすい食品製造工場で2年パート勤務。
正社員での社会復帰を期に、介護業界へ戻り、介護老人福祉施設へ入社6年勤務後退職。
2019年3月から ユースタイルラボラトリー(株)土屋訪問介護事業所へ入社。
2015年 介護福祉士取得・登録
その他、認知症ケア指導管理士(初級)・交流分析士2級・労務管理士1級を認定(法人会員等未登録)