データだけでは本質が見えない
人間は自分が第一です。
私はそれ自体悪いとも思っていません。
もちろんいいとも思っていません。
「そういうもの」だからです。
ただ、他人に寛容になれないときの自分や、寛容になれない他人を見たとき、「不快」になります。
人間の脳は、大脳(他の動物と比べてデカい部分)では二人称、三人称を理解しているのですが、他の動物とさほど変わらない下半分では、二人称さえ区別していないのだそうで、イライラしてる人が同じ部屋にいたり、電車で横の席に座っていると疲れたり緊張してしまうのは、一定科学的な説明ができそうです。「なんでか」がわかります。
さて、話題を変えましょう。
皆さんCDとレコード、どっちが音がより良いと思いますか?
実はこの問い、音楽好きの間では長年論争になっていました。
レコード派の主張は
「CDの音は温かみがないがレコードにはそれがある!」
というもの。
CD派の主張は
「CDは人間の聞こえる周波数全部記録できるんだ。レコード派のいうことは思い込みか慣れによる錯覚だ」
というものです。
さて、結論から言いますと
「レコード、やっぱり温かみがあった(しかし条件あり)」
です。
歯切れが悪い!と思った方、まあそうでしょう。
簡単に解説すると、
人間は高周波(耳で聞こえない高さの音)は耳では聞こえないけれど、“肌や骨で受け取っている”のです。
これを利用したのが骨に直接音声を振動に変換して伝える骨伝導スピーカーです。
そして
CD:高周波をあらかじめカットして捨ててしまっている
これに対し
レコード:元々のテープなどの音を溝を掘る形で記録しているのでCDがカットしてしまう部分が残っている。イコール音の「再現度が高い」と言えるでしょう。
この問題が示すことは、
「データの取り扱い方」です。
無論ある現象を定点観測することによって、主観のみでは得難い視点での観測をすることができます。
主観と言うとイメージとして、「凝り固まった」「視野の狭い」というものが挙げられるし、主観でものを言うことを批判するときの立脚点もここにあります。
賢明な読者の方々ならば既にお分かりでしょうが、データのみを重要視することも、データに目線が近すぎて視野狭窄を起こします。
データ、統計、アンケート集計、どれをとってもその測り方で捉えられない領域に目を配ることを忘れないことが重要であるのです。
賃金が上がらない中景気が良くなったという報道に怒りを覚えたりするのであれば、まずはデータとの付き合い方、ゆめゆめお気をつけくださいますよう。
間傳介 プロフィール
1981年、鹿児島県産まれ。
宇都宮大学教育学部国語科教育八年満期退学
「東京に行け」との高校の恩師の言葉を独自解釈し北関東に進学。
修辞学、哲学、文学、芸術、音楽、サブカルチャー等乱学。
効率、生産性ばかり喧伝する文化の痩せた世の中になった2008年ごろ、気づいた頃には相対的に無頼派となっており、覚悟し流れ流れて福祉業界に。
知的障害者支援、重度訪問介護、などに従事。
「能(よ)く生きる」ことを追求している。
友愛学園成人部職場会会長
人間は自分が第一です。
私はそれ自体悪いとも思っていません。
もちろんいいとも思っていません。
「そういうもの」だからです。
ただ、他人に寛容になれないときの自分や、寛容になれない他人を見たとき、「不快」になります。
人間の脳は、大脳(他の動物と比べてデカい部分)では二人称、三人称を理解しているのですが、他の動物とさほど変わらない下半分では、二人称さえ区別していないのだそうで、イライラしてる人が同じ部屋にいたり、電車で横の席に座っていると疲れたり緊張してしまうのは、一定科学的な説明ができそうです。「なんでか」がわかります。
さて、話題を変えましょう。
皆さんCDとレコード、どっちが音がより良いと思いますか?
実はこの問い、音楽好きの間では長年論争になっていました。
レコード派の主張は
「CDの音は温かみがないがレコードにはそれがある!」
というもの。
CD派の主張は
「CDは人間の聞こえる周波数全部記録できるんだ。レコード派のいうことは思い込みか慣れによる錯覚だ」
というものです。
さて、結論から言いますと
「レコード、やっぱり温かみがあった(しかし条件あり)」
です。
歯切れが悪い!と思った方、まあそうでしょう。
簡単に解説すると、
人間は高周波(耳で聞こえない高さの音)は耳では聞こえないけれど、“肌や骨で受け取っている”のです。
これを利用したのが骨に直接音声を振動に変換して伝える骨伝導スピーカーです。
そして
CD:高周波をあらかじめカットして捨ててしまっている
これに対し
レコード:元々のテープなどの音を溝を掘る形で記録しているのでCDがカットしてしまう部分が残っている。イコール音の「再現度が高い」と言えるでしょう。
この問題が示すことは、
「データの取り扱い方」です。
無論ある現象を定点観測することによって、主観のみでは得難い視点での観測をすることができます。
主観と言うとイメージとして、「凝り固まった」「視野の狭い」というものが挙げられるし、主観でものを言うことを批判するときの立脚点もここにあります。
賢明な読者の方々ならば既にお分かりでしょうが、データのみを重要視することも、データに目線が近すぎて視野狭窄を起こします。
データ、統計、アンケート集計、どれをとってもその測り方で捉えられない領域に目を配ることを忘れないことが重要であるのです。
賃金が上がらない中景気が良くなったという報道に怒りを覚えたりするのであれば、まずはデータとの付き合い方、ゆめゆめお気をつけくださいますよう。
間傳介 プロフィール
1981年、鹿児島県産まれ。
宇都宮大学教育学部国語科教育八年満期退学
「東京に行け」との高校の恩師の言葉を独自解釈し北関東に進学。
修辞学、哲学、文学、芸術、音楽、サブカルチャー等乱学。
効率、生産性ばかり喧伝する文化の痩せた世の中になった2008年ごろ、気づいた頃には相対的に無頼派となっており、覚悟し流れ流れて福祉業界に。
知的障害者支援、重度訪問介護、などに従事。
「能(よ)く生きる」ことを追求している。
友愛学園成人部職場会会長