出産予定日より3週間早く予定帝王切開で生まれた娘は、何の異常もなかったが生後2日ほど保育器のお世話になった。通常お腹にいる赤ちゃんは、生まれてくる間に産道を通ることで肺呼吸に切り替えるのだか、予定帝王切開で生まれてくると赤ちゃんはその体験が出来ないから、まだお腹の中にいると勘違いして自分で呼吸する事を忘れて寝てしまい危険な状態になりやすい。そのため、呼吸が安定するまで(1〜2日)保育器で様子を見るらしい。
介護者がガラス越しに生まれたばかりの娘の姿を携帯のカメラで撮って私に見せてくれた。ほんの数時間前までお腹の中にいた娘は少しシワくちゃだったがとても可愛かった。でも、画像だけでは本当に無事に生まれきてくれたのか信じられなくて、早く確認したくなり看護師さんに頼んで自分の病室に連れてきてもらうことにした。
娘と初めて会って、自分で抱っこした瞬間はとても緊張した。そして初めて新生児を抱っこしてみて驚いた。想像以上に身体がフニャフニャしていて少しでも力を入れてしまうと潰してまいそうになる。私の身体はますます緊張する。必死に不随意運動と過緊張を抑え込みながら、数分間ではあったが我が子を自分の腕に抱く事ができた。この数ヶ月間に起きた様々な出来事は、この時間のためにあったのだと思った。そして、これから先この何倍もの長い年月を掛けて1人の人間を育てていかなければならないという大きな責任を娘の体温を通して感じた。
少しの時間だったが子供の無事が確認できたので、安心して新生児室に預けてその日は寝ることにした。しかし、夜から熱が出てしまい身体全体がギシギシと痛みだし悪寒が止まらない。側にいた介護者に身体をさすってもらったり、汗をかいて何回もタオルで拭いてもらった。出産当日から翌日まで入っていた介護者は、この道のプロで高齢障害者の急変など緊急対応には慣れていた人だったので心強かった。入院期間中のシフトは、出来るだけ介護に慣れている人たちを中心に組んでいたから安心だった。
さて、私が入院していた産婦人科の病室は通常4人部屋だったが、24時間介護者をつけて入院するため「他の患者さんに気を使わせてしまう」という話になり特別に1人部屋にしてもらえることになった。これも全国公的介護保障要求者組合の委員長Nさんが病院側に交渉してくれたからだ。子育て経験がある障害者の先輩が昔、息子さんを出産する際に介護者をつけての入院を希望してたが病院側に良い顔をされず、揉めに揉めて大変な思いを出産前にしたと聞いたことがある。
時代が進んでも、やはり病院側は介護者をつけての入院に対しては余り良い顔はしない。病棟側からすれば、毎日違う人間が入れ替わり立ち替わり病室を出入りするのは衛生的に好ましくないという事が第一の理由だろうが、患者の介護をするのも看護師の仕事であるのにわざわざ介護者をつけて入院することに理解できないという面もあるのではないかと感じている。健常な人が入院するなら看護師だけで入院中の介護は充分だろうが、障害者が入院する場合は全く違う。
介護の仕方も障害によって全然違うし時間も通常の何倍も掛かる。それに何よりもナースコールのスイッチが押せないし、コミュニケーションがスムーズに取れない障害者の場合は短い時間では伝えたい内容も到底伝えられないし理解もされないかもしれない。だからこそ、入院中は慣れた介護者がいないと充分な医療的ケアを受けることさえ難しくなる。
Nさんたちが前々から要望し続けてようやく認められた「入院時コミュニケーション支援」が浸透しつつあった時期で、私もこの制度を使うことを病院側に認めさせ24時間の介護をつけることかできた。病院とのやり取りを担当してくれていたソーシャルワーカーの人が「少し考えれば介護者をつけない方が病院側には負担になるのにねぇ…合理的じゃない」と言っていて、少し離れた立場から見たほうが物事はよく見えるのかもしれないと思った。
入院中、最初のうちは医療関係者にビクビクしていたが皆とても気さくで優しかった。身体もだいぶ動けるようになり、子供と同じ病室で過ごす時間も増えた。少しでも慣れておこうと、授乳やげっぷの出し方・オムツの変え方などを細かく助産師さんに質問していると、ある助産師さんに「頑張っていかないと!と思う気持ちもよく分かるけど、お家に帰ったら嫌でも貴方がこの子の面倒を見なきゃいけないんだからね。今ここにいるうちは私たちに甘えて貴方は身体を休めることを優先しなさい」と言われたた。
それまで「介護者と頑張っていかなければ!」と気を張ってきた私だったが、周囲をよく見てみると様々な人たちのおかげで入院生活をおくれている事に気づく。術後の回復を考えて丁寧に処置してくれていた執刀医、熱が出た時に心配してくれて何度も見に来てくれた看護師さん、新生児の扱いを毎回丁寧に教えてくれる助産師さん、公的な手続きや市役所への連絡などを私の変わりに行ってくれたソーシャルワーカーさん、地域へ戻った翌日には自宅に訪問する準備をして待っていてくれている健康センターの職員さん……。
入院中の10日前後だけでも一体何人の人たちが私と子供と介護者たちを支えてくれているんだろう。そう考えると感謝の気持ちでいっぱいになり、改めて「この子を精一杯育てていこう」と強く誓った。
平田真利恵(ひらたまりえ)
昭和53年生まれ、脳性麻痺1種1級。
2002年の秋、「東京で自立生活がしたい」という思いだけで九州・宮崎から上京。障害者団体で2年ほど自立支援の活動をした後、2007年女の子を出産。シングルマザーとして、介護者達と二人三脚で子育て中。 地域のボランティアセンターで、イラスト作成や講演活動を行なっている。
介護者がガラス越しに生まれたばかりの娘の姿を携帯のカメラで撮って私に見せてくれた。ほんの数時間前までお腹の中にいた娘は少しシワくちゃだったがとても可愛かった。でも、画像だけでは本当に無事に生まれきてくれたのか信じられなくて、早く確認したくなり看護師さんに頼んで自分の病室に連れてきてもらうことにした。
娘と初めて会って、自分で抱っこした瞬間はとても緊張した。そして初めて新生児を抱っこしてみて驚いた。想像以上に身体がフニャフニャしていて少しでも力を入れてしまうと潰してまいそうになる。私の身体はますます緊張する。必死に不随意運動と過緊張を抑え込みながら、数分間ではあったが我が子を自分の腕に抱く事ができた。この数ヶ月間に起きた様々な出来事は、この時間のためにあったのだと思った。そして、これから先この何倍もの長い年月を掛けて1人の人間を育てていかなければならないという大きな責任を娘の体温を通して感じた。
少しの時間だったが子供の無事が確認できたので、安心して新生児室に預けてその日は寝ることにした。しかし、夜から熱が出てしまい身体全体がギシギシと痛みだし悪寒が止まらない。側にいた介護者に身体をさすってもらったり、汗をかいて何回もタオルで拭いてもらった。出産当日から翌日まで入っていた介護者は、この道のプロで高齢障害者の急変など緊急対応には慣れていた人だったので心強かった。入院期間中のシフトは、出来るだけ介護に慣れている人たちを中心に組んでいたから安心だった。
さて、私が入院していた産婦人科の病室は通常4人部屋だったが、24時間介護者をつけて入院するため「他の患者さんに気を使わせてしまう」という話になり特別に1人部屋にしてもらえることになった。これも全国公的介護保障要求者組合の委員長Nさんが病院側に交渉してくれたからだ。子育て経験がある障害者の先輩が昔、息子さんを出産する際に介護者をつけての入院を希望してたが病院側に良い顔をされず、揉めに揉めて大変な思いを出産前にしたと聞いたことがある。
時代が進んでも、やはり病院側は介護者をつけての入院に対しては余り良い顔はしない。病棟側からすれば、毎日違う人間が入れ替わり立ち替わり病室を出入りするのは衛生的に好ましくないという事が第一の理由だろうが、患者の介護をするのも看護師の仕事であるのにわざわざ介護者をつけて入院することに理解できないという面もあるのではないかと感じている。健常な人が入院するなら看護師だけで入院中の介護は充分だろうが、障害者が入院する場合は全く違う。
介護の仕方も障害によって全然違うし時間も通常の何倍も掛かる。それに何よりもナースコールのスイッチが押せないし、コミュニケーションがスムーズに取れない障害者の場合は短い時間では伝えたい内容も到底伝えられないし理解もされないかもしれない。だからこそ、入院中は慣れた介護者がいないと充分な医療的ケアを受けることさえ難しくなる。
Nさんたちが前々から要望し続けてようやく認められた「入院時コミュニケーション支援」が浸透しつつあった時期で、私もこの制度を使うことを病院側に認めさせ24時間の介護をつけることかできた。病院とのやり取りを担当してくれていたソーシャルワーカーの人が「少し考えれば介護者をつけない方が病院側には負担になるのにねぇ…合理的じゃない」と言っていて、少し離れた立場から見たほうが物事はよく見えるのかもしれないと思った。
入院中、最初のうちは医療関係者にビクビクしていたが皆とても気さくで優しかった。身体もだいぶ動けるようになり、子供と同じ病室で過ごす時間も増えた。少しでも慣れておこうと、授乳やげっぷの出し方・オムツの変え方などを細かく助産師さんに質問していると、ある助産師さんに「頑張っていかないと!と思う気持ちもよく分かるけど、お家に帰ったら嫌でも貴方がこの子の面倒を見なきゃいけないんだからね。今ここにいるうちは私たちに甘えて貴方は身体を休めることを優先しなさい」と言われたた。
それまで「介護者と頑張っていかなければ!」と気を張ってきた私だったが、周囲をよく見てみると様々な人たちのおかげで入院生活をおくれている事に気づく。術後の回復を考えて丁寧に処置してくれていた執刀医、熱が出た時に心配してくれて何度も見に来てくれた看護師さん、新生児の扱いを毎回丁寧に教えてくれる助産師さん、公的な手続きや市役所への連絡などを私の変わりに行ってくれたソーシャルワーカーさん、地域へ戻った翌日には自宅に訪問する準備をして待っていてくれている健康センターの職員さん……。
入院中の10日前後だけでも一体何人の人たちが私と子供と介護者たちを支えてくれているんだろう。そう考えると感謝の気持ちでいっぱいになり、改めて「この子を精一杯育てていこう」と強く誓った。
平田真利恵(ひらたまりえ)
昭和53年生まれ、脳性麻痺1種1級。
2002年の秋、「東京で自立生活がしたい」という思いだけで九州・宮崎から上京。障害者団体で2年ほど自立支援の活動をした後、2007年女の子を出産。シングルマザーとして、介護者達と二人三脚で子育て中。 地域のボランティアセンターで、イラスト作成や講演活動を行なっている。