『名前のない幽霊たちのブルース』~わたしののおはなし4~

『名前のない幽霊たちのブルース』~わたしののおはなし4~

わたしの



前回までのブルース
先人たちの知恵に敬意を払い「祭を模倣する」ことに憧れる「わたしの」。『名前のない幽霊たちのブルース』という曲を作り新しい形の祭において、そこに神楽の熱を再現しようと企てるのだが…。
社会と集団について検証することを目指す「わたしの」のはなし。

『名前のない幽霊たちのブルース』の歌詞は以下のようなものでした。

♪やつらは戻らない(so you know ?)
帰ってくる気もないだろう
名前のない幽霊たちのブルース

♪やつらはお腹すかない(知ってんの?)
だけどおやつは別腹さ
名前のない幽霊たちのブルース HO-NO!

この歌詞にオーソドックスな8ビートブルースのメロディーが付きました。
ブルースというのは日本の俳句と同様、基本的には形式が決まっており4小節×3で表現されます。形式的なコード進行で成り立っているので単純なコードを押さえることができれば誰でも演奏が可能です。言ってしまえば飛び入り参加も可能です。この曲ではどんなものも受け入れ可能な寛容性が必要であり、そのために誰でも参加できるブルースを選びました。

ブルースの一つのパターンとなっているのが間奏でそれぞれの楽器がソロを取るというやつです。もちろん私は教えられた通りにしかできない(ブルース①参照)のでソロは取れません(情けない)。
間奏ではマリンバ→ピアニカ→パーカッション→エレキギターといった具合に順々にソロを取っていくことに決めました。

さらにこの曲は神楽を再現することを標榜しているのでどのようにその要素を入れるか話し合いました。
まずこの曲では小さな楽器をたくさん用意して参加者も一緒に演奏し、シンクロすることでその場を特別な空間に演出しようと計画しました。
そしてその空間で曲の途中に観客とやりとりするような場面を作ることにしました。



通称「あの世とこの世のコール&レスポンス」

メンバーと子どもたちが「お菓子がほしい」と歌います。
ボーカルは「お菓子はあげない」と答えます。
そのコール&レスポンスを繰り返し、そのやりとりがひとつの高まりへと到達したとき「お菓子をあげる!」とボーカルが答え、お菓子が登場するというシナリオです。

どのようにお菓子が登場するかというと、神楽でよくあるのですが神楽殿の上から餅やお菓子を撒くあれをやってみたいと思いました。棟上げ式でもやりますよね。撒くやつ。子どもの頃熱中したのを覚えています。あれを再現してみたい!
その時観客と演者が混ざり合い、そこに神楽が持っている独特なカオスの世界が現出するのではないかと画策しました。

会場は公園の原っぱ。
ステージはなくバンドが陣取った位置の前になんとなくお客さんが座ったり、遠巻きに眺めていたりしました。焼きそばや綿菓子の屋台が出て、だるま作りのワークショップが催され、小さい子どもを連れたお母さんたちの層を中心に多くの人で賑わっていました。
初LIVE から比べると「わたしの」の知名度も少しは上がっているようで、演奏を楽しみにしてくれる方もいて、ありがたいことに開演時間をいまや遅しと待ってくれてもいたのです。



さて、LIVE が始まり3曲終えていよいよ「名前のない幽霊たちのブルース」の番がやって来ました。お客さんの集まりも悪くありません。

黒い大きなスーツケースにマラカス、ベル、ウクレレ、木琴、タンバリンなどの楽器をぎっしり詰めて持ってきていましたので、曲が始まる前にそれを目の前で開きました。すると子どもたちは気付くやいなや飛び付いて、夢中になって自分がやりたい楽器を探しています。その音を聞いて遠くで遊んでいた人たちも駆け寄ってきて、その場は様々な音色と笑顔で溢れかえっていました。いい感じ。

下準備はできました。
曲が始まりました。
みんなで楽器を鳴らします。だんだんと息が合い、場がシンクロしていきます。

そしていよいよ『あの世とこの世のコール&レスポンス』が始まりました。

子どもたち「お菓子がほしい」

わたしの「お菓子はあげない」

子どもたち「お菓子がほしい!」

わたしの「お菓子はあげない」

子どもたち「お菓子がほしい!!!」
楽器を夢中で鳴らしながら叫びます。

わたしの「お菓子はあげない」と押し返します。

一緒に楽器を鳴らす熱で場の空気は盛り上がり、熱くなっていました。シンクロ率3700%の特別なものになり、名前のない幽霊たちが迷い混んできてもおかしくないような空間になっていました。盆踊りのような、沖縄のカチャーシーのような、バリのケチャのような異様なムードです。もののけも魔も鬼も怪も怨霊もなんでもあり、聖も俗も清濁も天国も地獄もここにあるような魑魅魍魎キョーセイ社会、カオスの到来があつく匂い立ちはじめました。さあ、いまこそ尊い命を奪われた名前のない幽霊たちがあらわれて大暴れするぞ、という時。あの世とこの世のコール&レスポンスで場のボルテージは最高潮。
いよいよ、お菓子撒きの時です。

あらかじめお菓子を撒く役を2名決めておいてボーカルの「お菓子をあげる!!!」の合図で一斉に撒き始める予定でした。

子どもたち「お菓子がほしい!!!!!!」

わたしの「みんなー、すごいなー。よーしそれならお菓子をあげる!!!!!」

今です。
お菓子を撒く役2名が前に出ました。かごの中のお菓子を鷲掴みにして、さて投げて撒こうかという時、二人が顔を見合わせています。お菓子撒きがはじまりません。その表情は困ったような顔です。私はカホンを打ちながら「どうして撒かないんだ?」と焦っていました。
やがて二人は助けを求めるような顔で私のことを見ました。それでも私がカホンを叩きリズムをキープし続けていると、かごからお菓子を取って一つ一つ子どもたちに手渡ししはじめたのです。

「それでは神楽感がまったくなくなってしまう」と危機を感じた私はカホンの演奏を一時やめて二人に歩み寄り、耳元で聞きました。
「どうしたんだ?」
「駄目です」
「何が駄目なんだ?手渡しするんじゃなくて、撒くんだよ。撒くの。」
「撒けないんです」
「えっ?」
「撒けないんです。投げられないんです。やってみてください。」
私は何を言っているのか分からないと思いながらお菓子を鷲掴みにして見本を見せるようなつもりでいざ投げようかとして気づきました。
「投げられない…」
そう、投げられないのです。

真横に投げるともちろん子どもたちにお菓子を投げつけてしまうことになります。上に投げると目で追えず地面に落下していきます。思い思いに楽器を鳴らしている子どもたちの注意をお菓子だけに向けさせることは至難の技でした。この撒き方だと何よりも興がまったく乗らないのです。神楽や棟上げ式で体験したものと全然違うのです。 イメージしていたものと違う!という状態がまたやってきました。

どうしてこうなるのか、答えは単純です。
「高さがない」のです。
神楽や棟上げ式は高いところから下に向けて撒きます。一度注意を集めて下の人が待っているところに向かって撒くので、それを目で追いかけて動いてキャッチしようとするのです。
しかし、今回の会場のような公園の野原でフラットな状態ですと、投げる人とキャッチする人が並列です。高低差がないと、とても投げにくい。神楽的な演出が効果的に作用しないのです。
それが本番になっていざ投げようとしたときにやっと身をもって分かったのでした。どうしてそれがあらかじめ考えつかないのかなー。
取る側は子どもの頃さんざん体験しました。実際投げる側に回って気付くことってあるんですね(やれやれ)。

「高さ」がない。演者と観客の間に高低差がない。
「高さ」って、ひとつの隔たりです。例えば神楽や能が舞台を必要とするように、それは「高さ」でもいい、「距離」でもいい、何かしらの隔たりが必要なのかもしれません。隔たり、境界線があるからこそ、それを越えるという概念が生まれる。越えようとするエネルギーが人を魅了するのかしら?

まあ、とにかく、そのイベントでは結果的に「はい、お菓子だよ」と一つ一つお菓子を子どもに配って回りました。いつのまにか場の熱は覚めて、日常的な光景がそこにはありました。またしても「思ってたのと違う」を味わった「わたしの」でした。

しかしながらLIVEは盛況のうちに終わりましてね、みんなで楽器を鳴らしたのが楽しかったようで子どもたちは喜んでくれたそうです。なかなか楽器が手放せない子や、学校で吹奏楽をやっているがどうしたら楽器がうまくなるか相談にきてくれた子もいました。そんな場面もありましたが…。

遠回りに遠回りを重ねていましたらいつの間にかお時間がきてしまいました。続きはまた次回とさせていただきます。ありがとうございました。





【プロフィール】
「わたしの」
1979年生まれ。山梨県出身。
学生時代は『更級日記』、川端康成、坂口安吾などの国文学を学び、卒後は知的障害者支援に関わる。
2017年、組織の枠を緩やかに越えた取り組みとして「わたしの」を開始。
「愛着と関係性」を中心テーマにした曲を作り、地域のイベントなどで細々とLIVE 活動を続けている。
音楽活動の他、動画の制作や「類人猿の読書会」の開催など、哲学のアウトプットの方法を常に模索し続けている。
♬制作曲『名前のない幽霊たちのブルース』『わたしの』『明日の風景』
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