『海を越えて』~「言葉」に頼って話すこと~

『海を越えて』~「言葉」に頼って話すこと~

安積宇宙



みなさん、こんにちは。
安積宇宙です。

わたしは今、ニュージーランドのダニーデンという南島の下の方にある街で 生活をしています。ダニーデンは、人口約十三万人ほど。ニュージーランドの中では、五番目に大きな都市といわれています。

この街の特徴といえば、わたしが卒業した大学があること。街の四五%が三十歳以下の若年層と言われています。それと同時に、有名な作家が生まれた土地ということや、文学をたしなむ人が多い街として、ユネスコから文学都市として指定されています。

そういうこともあって、辺鄙な街なのに、著名な人たちの講演会や文学をたしなむイベントがちょくちょく企画されます。今までに、チベット亡命政府の政治最高指導者のロブサン・センゲさん、イギリスの歴史研究家でありラッパーのアカラさんなどの 講演を聞きに行ったことがあります。世界の果てみたいな街に住んでても、世界中のこととつながっていられるような気がして、いつもワクワクして参加してきました。

先日も、また新たな講演会に行ってきました。今回は、イランから難民としてオーストラリアに入国したところ、オーストラリア政府に、マヌス島にある難民の「留置所」に六年間も拘束されたベルース・ボッチャニさんが話し手でした。彼と一緒にイギリスの大学教授の女性もコメンテーターとして登壇をしていました。

ベルースさんの話し方は、一つ一つの言葉をゆっくり確かに届けてくれるものでした。それは彼にとって英語が第一言語ではないということからのゆっくりさなのか、彼の話し方のスタイルなのかはわからなかったけれど、たくさんの言葉を並べるのではなく、一語一語吟味されて紡がれる言葉から、彼の人柄や歩んできた道を垣間見れるような気がしました。でも、その講演の間六回くらい一緒に登壇していた女性が、彼が話を終わる前から話しだして、彼の代わりに彼の言葉をとってしまうことがありました。

内容自体は、お二人とも両方から学ぶことがったのですが、その女性が言葉を被せていく姿にどうしても納得いかず、講演の後も後味の悪さが残りました。

特に、お話の中でベルースさんが、「『言語』とは『言葉』だけではなく、人の仕草や芸術、詩、音楽など、いろんな種類の言語がある。『言葉』に頼りすぎず、目の前の人たちとつながれる『言語』を探っていきたい」という話をしていたこともあって、「言葉」に頼って話すことについてすごく考えさせられました。

わたしは、骨が脆いという体の特徴を持っていて、車椅子を使っていますが、言語障害はありません。でも、ニュージーランドに来た当初は英語があまり話せなかったので、「言葉も理解できない人」というように扱われたことが何度もあります。

同じ障害というくくりの中にあっても、言語に障害があるかどうかで、社会から取られる態度も変わってくるということを、しみじみ感じる体験でもありました。「言葉」を持っている人の方が、まだ、この社会では受け入れられやすいように感じます。

だけど、わたしのように異国にくれば、母語を話せても、その国の言語を話せなければ、言語障害を持っているのと同じようなものです。
そんな時に、一つの「言語」を話せることによって、人のことを判断する浅はかさが浮き彫りになるような気がします。

人の人間性や、理解する力を、「言葉」を発せられるかということでは、判断できないのです。でも、話し方が人と違ったり、ゆっくりだったりすることで、他の人たちが、その人の話しているスペースを邪魔してくることに、悲しみと憤りを覚えます。

この一件は、わたしに、これから子供達や、一見同じように「言葉」を発さないよう人たちに対して、より誠実でありたいという思い起こさせました。私たちは、日々常に「言葉」に頼りがちですが、私たちが普段認識している「言葉」の外にも、たくさんの大切なメッセージやコミュニケーションの鍵が潜んでいることを、忘れないでいたいです。


【略歴】
安積宇宙(あさかうみ) 1996年石丸偉丈氏と安積遊歩氏の元に産まれる。
母の体の特徴を受け継ぎ、生まれつき骨が弱いという特徴を持つ。
ニュージーランドのオタゴ大学、社会福祉専攻、修了。現在、ニュージーランド在中。
共著に『多様性のレッスン 車いすに乗るピアカウンセラー母娘が答える47のQ&A』(ミツイパブリッシング)。
2019年7月、NHKハートネットTVに母である安積遊歩とともに出演。



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