2020年はこうありたい  そして大切な家族と共に

2020年はこうありたい  そして大切な家族と共に

中田みどり



私はまず目標をたてる前に、この会社に入社してからを振り返ってみたい。
2018年4月 営業職から、この会社に転職。
子供を2016年に出産し子育てしながら、他の分野で自分を人間的に成長させたかったからだ。 ただ、私にはこの福祉の中での資格が全くなかった。ゼロからのスタート。不安もあったが、自分が決めた事なので前進するのみな気持ちで日々をすごした。
初めの4か月は、初任者研修を受けながら、都内のデイサービスで働かせていただいた。
そこでは、たくさんのご利用者様と明るいスタッフと共に、介護保険の出来ない事をサポートする内容。食介や入浴介助、トイレ介助など勉強させて頂いた。ご利用者様と歌ったり、折り紙を教わったり、昔話を聞いたりと、ご利用者様個々それぞれに、考え方や生活スタイルがあり、今まで生きぬいてきた。決してみな同じ生活を送っているわけではない。と、改めて勉強させていただいた。 とても自分には勉強になった職場でした。
初任者をとり、直ぐに実務者研修も受けた。その時は、都内のデイサービスと訪問介護を経験。
高田馬場を拠点に、ご利用者様のご自宅へ伺い支援に入る。自転車で移動し、一日に何件も回る。 晴れていればなんの問題もないが、雨の日はずぶぬれになって回った。けれど、ご高齢のご利用者様の一言【ありがとう。】がとても嬉しく、この仕事のやりがいを感じた。
新規ご利用者様の2件を担当を任せてられた。 2件同時期に顔合わせ。全く性格も生活リズムも正反対のご利用者様。支援に入り手順書を作成するにあたり、ここでも勉強。 
全く同じ人間はいない。 その方にあった支援方法を考え、納得いただいた上で支援をした。 
ここで生活の違いで簡単な話をすると、些細なことだけれど、
 ・買物をした後、スーパーの袋の持ち手を結ぶ、結ばない。
 ・部屋全体を掃除する際の順番。
 ・入浴方法                       など。
とても細かいことまで、ご利用者様の生活に入り込んで支援をさせていただいた。
本当に毎日が勉強になった仕事でした。

2018年8月頃 自宅から近い場所(ふなばし)へ移動した。
ここまでは、2歳の娘も 体調を崩すことなく元気に保育園へ通った。私も仕事に穴をあけることなく資格をとり順調に勤務することができた。ありがたい。娘や支えてくれた家族へ感謝の気持ちを改めて伝えた。

ただ、ふなばしで勤務が始まってから、一度だけ辞めたい。と、思ったことがあった。
それは、突発で熱が出た娘の看病が出来なかった時だ。座薬を入れて保育園に預けてしまったこと、今でも後悔している。 仕事を休むとマイナスイメージになるという言葉。
ザックリな文面だが、この仕事で本当に良いのか考えさせられた。

2018年11月頃~ ふなばし事業所で仕事をするようになった。
支援をしながら担当者会議、新規ご利用者インテーク、実績など雑務をこなしながら仕事をしていた。
心細い気持ちだったが、自分の給料分ぐらいは支援をとり介入していこう。と決めた。

支援している間も、ご利用者様からありがたいことに、娘の話を聞いてくるようになった。【オムツとれた?嫌々期始まった?】など。
私は、ご利用者様の出来ない事の支援に入り、ご利用者様からは、子育てや人生について教えて頂いているんだと実感している。 
とても、充実し、毎日の仕事が楽しい。

2020年 ふなばし事業所にいる私。
2019年8月頃から非常勤さんも入り、バックアップが出来るようになった。
そして、介護保険だけではなく居宅支援・日勤の重度(短時間)と支援の幅が広がってきた。介護保険も、寝たきりの方の支援や入浴介助など。重みが増してきた。

これからの私。(2020)
ご利用者様、ケアマネージャーさん、支援員さん、非常勤さん・スタッフ、
そして大切な家族と共に
支えあいながら、数字への目標を持ち(会社へ)、さまざまな人の気持ちを考えながら
出来る支援へ介入していきたい。