介護のお仕事で困ったこと この「一人」が怖かった

介護のお仕事で困ったこと この「一人」が怖かった

菅野真由美



困った事…何だろうと考えてみた。
最初はやはり一対一であるが故の怖さ、が困ったことだったかもしれない。
研修が終わり、一人で支援に入った時に、後ろを振り返っても誰もいないこと。
この「一人」が怖かった。

手順を忘れてしまったら。
着替えの順番が間違えてしまったら。
おむつ交換が上手く出来なかったら。
文字盤が読めなかったら。
吸引で痰がとりきれなくて苦しがっていたら。
停電したら。

まだこの起きてもいない「もしも」を想像し怖かった。

勿論、コミュニケーションのとれる相手であればその方に都度聞けばよいのだが、その聞く事が怖かった。

「何度も聞かないで」「それは研修でやったはず」
と言われることもあり、その度に自分が情けなく心折れそうになった。

上手くいかなくても突発的に何かが起きても、現場では私しか居ないのだから自分が何とかしなくてはならない、そんな気負いもあった気がする。

しばらくして自分で新規の利用者の初日に入るようになると、当然ながらご本人や家族に聞きながらのケアのスタイルを作った。その頃になると聞くことは怖くなかった。逆に聞かないことの方が怖かった。聞かなければその人の快適な事、不快な事、痛さや苦しさが全くわからない。聞くこと、確認すること、そして状況に応じて変えること、ケアも変化することを学んだ。

この今では当たり前のことがまともに出来るようになるまで私は時間がかかってしまった。

最初に感じていた「一人」。
でも実際にはご利用者の方がいて「二人」。
ご家族がいて「三人」。
プロとしてやるべき仕事をこなすことは最低限だが、今はわからないことがあったら素直に聞く。その人がどうして欲しいかが一番大事だと思うから。正解が見つからない時も「三人寄れば文殊の知恵」でご家族の知恵も他事業所の知恵もお借りする。

今から思えば現場で「どうしよう…」な事はたくさんあったが、本当に困ったことは自分自身のつまらない「プライド」だったと思う。
相手からよく見られたい、出来ないヘルパーと思われたくない、などきっと心のどこかにあって「聞くこと」が恥ずかしいようなマインドであったと思う。

そのおかしな「プライド」が外せた時、現場でおきる数々の出来事も楽しめるようになるのかなと思う。介護も介助も一人でやるものではなく、相手がいて一緒に作り上げていくものだと実感している。

それからもう一つ、入社したての頃困ったなと思ったこと。

それは研修の時の指導員によってケアのやり方が全く違う時があり、どのやり方を覚えればいいのか迷った。前回の指導員に教わった通りにやると今回の指導員からは違うと怒られ、かなり混乱した。
どちらのやり方も間違えではない。そのそれぞれのやり方で利用者は満足されているのだから。
でも教わった通りにやって指導員から注意をうけるのは未経験で入った私にはかなり堪えた。このことは今入社されて現場に入ったスタッフからも未だ不満があがってくる。指導するスタッフも自分のやり方が全てと思わず、柔軟に対応をして欲しいと心から願う。


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