でこぼこ道を歩く~介護顔~

城谷平


“介護顔(かいごがお)”とはなんぞや?

 この言葉を思い出すと、鏡に映る自分の顔を見たくなる。おれって介護顔かも?勿論、どんな辞書を引いても出てくる言葉ではない。初めて聞いたのは、初任者研修を受けたとき、介護士をされているというベテラン女性の先生からだった。いかにも場数を踏んでいそうな言葉に経験に裏打ちされた説得力がある授業ぶりだった。

 「典型的な介護顔かもね、あなた」。

 介護士さんの間ではよくつかわれる言葉なのか?授業中そういわれたのは確かその時は女子学生。たぶん二十歳前後か。僕みたいなじじいから見ると子供子供していて、大人の女性というより女の子に見えた。

 よく居眠りしていた。体育会系のクラブ活動もし、バイトも忙しいらしかった。服装は高価なものは身につけておらず、化粧っけがなくほぼすっぴんだったと思う。

 頬っぺたが赤くいかにも健康そうな娘(こ)で、おじさんにもおばさんにも人気があった。かわいいのです。誰しも覚えがある若いころ、少々疲れていたって回復も早い。だから結構無理もする。怖いものなんかない。授業中は、よくこくりこくり舟をこいでいた。

 ちょい古いが、今どき珍しくなった苦学生のタイプに見えた。遊び金を作るためにバイトするタイプには見えなかったのだ。おばさんの年齢の女性も同じ教室で学んでいたけど、舟をこぐ彼女を母の顔で優しく見守っているように見えた。

 その時“介護顔”という言葉から連想したのは、彼女のイメージもあったけど、まずは働き者。労を惜しまず献身的に、時には体力的に無理してまで頑張る娘。適当に手を抜くなんて要領のいい世渡りからは程遠い、と見えた。

 こんな娘だったら、誰だって介護してほしいだろう。僕は勝手に、介護という仕事にはうってつけの女性に違いないと思い込んでいた。思い出すと恥ずかしい気持ちも今更ながら湧いてくるけど「自分にぴったりの仕事なんてなかなかないんだよ」などとわかった風にいった覚えがある。

 介護士の女性の先生は、その子が確かに気に入ったと見え、「せっかくなんだから介護職にとどまらず、介護士にもチャレンジしなさい」といったのを覚えている。けなげに頑張ってる子はだれだって応援したい。俺にだってあんな頃はあった、なんて考えないでもない。彼女の目がキラキラ光って澄んで見えたけど、僕だってあんな目をしていた時はあった…と思うくらいいいでしょう。

 授業のコースが後半に入ったころだった。再び同じ先生の授業。あれっと思った。

 「あんたね、介護顔なんて周りに軽く言われるようじゃ駄目なのよ」。悪意は皆無だし優しい口調なんだが、僕が思い込んでいたニュアンスがやや違ってきた。先生はただ褒めてるだけでもなさそうなのだ。コースを終えた後も“介護顔”は僕の脳裏に謎として残り続けた。女性介護士の先生の顔は無言でその娘に「あんたわかってんの?」といってるようだった。

 どうも複雑な内容がありそうだ。結論などでなく、ただ僕なりに考えた。

 いい人って何だろう?彼女の、計算とか駆け引きなんて縁がなさそうないかにも人がよさそうな笑顔には、いや彼女に限らず、人が好い、というのはネガティブな面だってある。英語のナイーブは純粋という意味とバカという意味を併せ持つ。人が好い働き者…。誰からどんな無理を頼まれても、断れない。実はこう書くと自分のことでもあるかなと思いあたってしまう。

 ある現場でこんなことをアドバイスされたことがある。「一生懸命なことはわかるけど、何でもかんでもいうこと聞いてなんでもやってあげればいいもんじゃないですよ」。その時のクライアントさんは確かにわがままが目に余るレベルだった。そしてそれはエスカレートするのだ。それは僕のせいかもしれない?僕はどんな顔してたんだろう?

 最近会ったある人は「どうも僕はマウントされやすいようで…」、と自嘲気味にいった。その時の顔。僕も笑えない。マウントをはねのけられるか、答えは難しい。  まだまだわかんないが少しづつパズルがはまり“介護顔”が見えてきた気がする。それにしても僕は永久に介護初心者だな、とも思う。      



【プロフィール】 1955年、佐賀県唐津市呼子町生まれ。いつのまにか還暦は過ぎ、あのゴジラよりは1歳年下。介護の仕事に就いたきっかけは先年亡くなった親友のデザイナーの勧め。「人助けになるよ」との言葉が効きました。約二十年くらい前に飲み友達だった大家が糖尿病で体が不自由になり、一昨年暮れに亡くなるまでお世話。思い出すとこれが初めての介護体験でした。今はその亡き大家のうちにそのまま住んでいます。元業界新聞記者、現ライター。

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