どうしよう、言葉が見つからない。こんな時はどうしたらいいのだろうか。
何となくその場の雰囲気が私の中で少しずつ重たく感じ始めたとき、イギリスの思想家であるトーマス・カーライルの言葉「沈黙は金、雄弁は銀」がふと頭をよぎりました。
先日、ある重度訪問介護でケアに伺ったご利用者様宅での出来事です。そのご利用者様はいつも決まった時間になるとリビングで車椅子に座りながら、その日の気分で適当にチャンネルを切り替えてテレビを観られます。
ちょうどその時、世界的に蔓延している新型コロナウイルスの影響で東京オリンピック開催が延期になった直後だったからか、オリンピック卓球日本代表候補選考レースの密着ドキュメンタリー番組が放映されていました。するとご利用者様はいつものように次から次へとチャンネルを回しながら、そのドキュメンタリー番組のところで手が止まったのです。
番組の前半は、卓球女子ナショナルチームの伊藤美誠選手、石川佳純選手、平野美宇選手、早田ひな選手たちが世界の強豪たちを相手に繰り広げられる壮絶な戦い。
そこには今日まで懸命に取り組んできた並々ならぬ努力と、計り知れないプレッシャーの中で本来の力が出せず敗戦してしまった悔し涙、そして同じチームメイトでありながらもライバルである複雑な心境の中で互いにもがき苦しみ、またそこから芽生える新たな絆が観ている者の感情を大きく揺さぶりました。
そして私がふとご利用者様に目を向けてみるとテレビ画面をじっと見つめていて、その表情はどこか羨ましそうにも、また悲しそうにも私の目には映りました。
いつもでしたらご利用者様がテレビを観ているとき、私は番組の話題をご利用者様に振って一緒に笑ったり、ご利用者様の気持ちに共感したりしていましたが、さすがにその時ばかりはどんな言葉をかけたらよいのか全くわからず、すべてのケアが終わって帰路の途中ずっと私は悶々とした気持ちを拭いきれずにいました。
そしてその数日後に別の重度訪問介護でご利用者様宅に伺った際、またもや同じ境遇に私は立たされたのです。
今度は寝たきり状態で胃ろうによる経管栄養剤でお食事をとられるご利用者様で、ベッドの足元にテレビがあって映画やお笑い番組、そしてグルメ番組をよく観られます。そのご利用者様は病気が発症される前には飲食店の経営をされたこともあり、食べることも好きだったそうです。
ちょうど夕食前にテレビを観ていたところ、同チャンネルでニュースから日本全国のご当地グルメ料理を紹介する番組に替わり、紹介される料理はどれも思わず目が釘付けになるほど美味しそうなものばかりでした。夕食の準備を整えた私はご利用者様に「準備ができましたので、これからお食事にしてもよろしいでしょうか」といつも通りのお声がけをしたものの、テレビに映っているグルメ料理を観ながら軽く頷かれたご利用者様に栄養剤を投与する切なさを感じていました。
テレビから連発して聞こえるリポーターの「すごく美味しい!」の言葉と、どんなに食べたくても二度と食べることができないご利用者様との狭間で、先日のご利用者様のときと同様に対話の言葉が一言も見つからず、テレビ画面を直視しているご利用者様の横顔を見ながら淡々と食事介助することしかできず…。
無論どんな時も何かしら言葉を交わす必要はないことは解かっておりますが、同じ言葉であっても言葉というものは時に人生を変えるほど重く、それに反して時に軽くなってしまうものです。トーマス・カーライルの言葉「沈黙は金、雄弁は銀」からも、これからもっとご利用者様とは言葉なく沈黙であっても心地よくなる深い信頼関係を築いていきたいです。