でこぼこ道を歩く~患者さんの背をさする…少しでも楽に眠れるよう念じながら~

でこぼこ道を歩く~患者さんの背をさする…少しでも楽に眠れるよう念じながら~

城谷平


 長く記憶に残る情景がある。母親の情景といってもよい。

 訪問介護やってて僕個人かもしれないが、大きな一つに“さする”という行為がある。テクニックというものではないけど、障害があり言葉が不自由だったりする患者さんとの意思疎通には、大きな意味を持つことがあると思う。意思疎通というより安心を得る便(よすが)といったらよいのか。

 痛いの痛いの飛んでいけ、じゃないけど母に痛いところをさすってもらうと、アーラ不思議、痛みが消えるような気が確かにした。介護士としてテクニックではなくその思いは大事なのではと思う。

 母のその情景、詳しいことは朧気(おぼろげ)ではっきりしない。何十年も前だ。佐賀の叔父のうちに泊まったときで、おそらくはお盆に母方の実家から回って立ち寄ったのだと思う。ひょっとしたら佐賀の天神前の東宝系の映画館で生まれて初めていとこたちと一緒に「キングコング対ゴジラ」(1962年 東宝)を見た夜かもしれない。だとしたら小学校一年か。

 映画はただ夢中で見たので筋などはよくわかってなかった。ゴジラのけたたましい咆哮は怖かったけど、案外ユーモラスでもあった。これも脳裏から一生消えない記憶だろう。

 佐賀は内陸地であり僕が生まれた呼子町という太平洋・玄界灘に面した漁港の気候とはかなり違う。夏は過ごしよい海風など吹かないし、蒸し暑い。そして町中をクリークという小川が流れていて、それは澄んだ流れなどではなく、ほとんどどぶだ。臭いし。夏は当然のように蚊が飛んでくる。佐賀の人から怒られると困るけど、50年以上昔の話です。

 その夜はおじさん宅の広間に布団をたくさん敷いて5~6人はいたろう。

 おじさんおばさんが大人の話をしている傍らで、僕は薄い夏用布団に横たわっていて、うとうとしていた。たぶん大人どもは早くこの面倒で神経質なガキを寝かせて、自分たちだけのごちそうで酒盛りをしようと待ち構えてたはずだ。

 子供なんて他愛のないものだ。

 いつの間にか眠り込んでた。ところどころこっちを見るおばさんの顔。そして母親の手に握られたうちわ。

 僕のことは眼中にない態(てい)で世間話をしながら母親はゆっくりゆっくりあおいでくれている。冷房なんてこの部屋に扇風機が一台あるだけだ。寝苦しいけど、団扇(うちわ)の風は優しく心地よかった。エアコンの寒いほどの涼しさではなかったけどゆるい涼しさ。

 思い出すのは実はこれだけ。母がうちわであおいでくれる安心感がいつまでも残っていた。うすぼんやりと目を開けるといつまでも母がうちわをゆっくり動かしていた…  …なーんだ、それだけかといわれそうだけど、夜勤で患者さんが眠りにつく際の見守りの時、「あの時は暑かったもんねー」と母と話したあの夜を思い出すのだ。

 例えば脊椎の損傷とかで体の自由が利かない患者さんの場合、もちろん眠剤を使ってもらうにせよ、あの寝苦しさと、それに対するうんざりした感情が患者さんを苦しめ疲れさすのではないか、と思う。寝苦しい夜。

 僕は母親が飽きずにうちわであおいでくれたようなことが介護の側が心がけることかもと思う。テクニックじゃないと思う。母になれるわけではないけど、心構えというかあり方だけど。安心のさせ方なんてマニュアルにできるものではなく、こんな書き方になるのです。

 ここまで書いて、ああそうかと気づく。

 新型コロナの蔓延に誰しも苦しんでいる。それなのにあえて、患者さんの体を“さする”行為を推奨するのは少し気が引けないわけでもない。三密忌避の方針には反するでしょうから。

 コロナ以降については考えるところがあるけれど、三密を避けることで失われることがあるのではないかと僕は危惧している。介護職とは患者さんとは心身ともに密に関わる、関わらなけらばならない仕事だから。これはジレンマで、多くの介護職の人が悩んでいるだろうと思う。真剣にとり組んでいる人ほどそれは深いだろう。正直、うまい答えは出せない。

 でもどうしても失ってはならないものは守らなくてはならないとも思う。なんだかうまく書けないけど、やさしさと書くと簡単すぎるわい、とひねくれ者の声が返ってくる。そういうわけで、個人的思いですが、母の思い出なんかを書かせていただいた。母性に勝る思いやりはありません。
     

【プロフィール】 1955年、佐賀県唐津市呼子町生まれ。いつのまにか還暦は過ぎ、あのゴジラよりは1歳年下。介護の仕事に就いたきっかけは先年亡くなった親友のデザイナーの勧め。「人助けになるよ」との言葉が効きました。約二十年くらい前に飲み友達だった大家が糖尿病で体が不自由になり、一昨年暮れに亡くなるまでお世話。思い出すとこれが初めての介護体験でした。今はその亡き大家のうちにそのまま住んでいます。元業界新聞記者、現ライター。

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