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介護者と二人三脚の子育て~自分の出来る課題をしっかりやり遂げる~

介護者と二人三脚の子育て~自分の出来る課題をしっかりやり遂げる~

平田真利恵



「制服のブレザー、結局3回くらいしか着ないで夏服になっちゃうね…」

新型コロナウイルスの感染拡大予防で、3月から小中高が一斉に休校となった。私たち親子が住んでいる地域は辛うじて小学校の卒業式・中学校の入学式は行われたが、殆ど学校に行くことが出来なかったうちの娘は、未だ自分が中学生になったという実感があまりないようにみえる。6月から学校も再開されるが、様々な制限をかけて様子をみながらの中学校生活になる様だ。学校再開にホッとする反面、自粛中ほぼ自宅で過ごしてきた子供の体力低下が少し気掛かりなところではある。また、いつ第2波がくるかわからない状況の中、今まで以上に感染予防に気をつけながらの生活になるだろう。

しかし、こんなに長い期間子供と一緒にいたのは何年ぶりだろう……。娘を保育園に入れたのが2才になる年の4月だったから約10年振りになるだろうか。

娘が生まれた当初は「3才までは家で介護者と育児したい」と強く思ってた。しかし、娘が歩き出し様々な事に興味を持ち始めた頃、電動車椅子で介護者と毎日の様に外で追っかけまわすには限界があった。大きな電動車椅子の周りをよちよち歩きの赤ちゃんが纏わりつきながら歩いている。少しでもコントロラーの操作を誤ると小さな足に何十キロもある車椅子のタイヤが乗ってしまい危険だ。そして、介護者はそれを回避するべく中途半端に動き回る私たち2人を両方同時にみなければならない。その上、極力介護者には娘を抱っこする事を控えてもらっていたから「本当に危険な時以外は手を出さないが危険が起きないように見守る」という、健常者にとっては何とも擬かしい仕事がうちの介護の基本であった。その後、子供の成長を考えて予定より早く保育園に入れる事にしたが、当時を振り返ると「よく我慢して見守ってくれていたなぁ」と介護者たちには感謝しかない。だが、介護者と二人三脚の育児をしていく中で私なりの葛藤もいくつかあった。

子供に食事を食べさせるだけでも、私が口にスプーンを運んでやろうとすると喉に刺さりそうになり、時間がかかってしまい子供がぐずり始める。結局、介護者に子供の食事介護をお願いし、私は横で子供に「もぐもぐごっくん!」などと声かけをする。その他の世話に関しても私の不随意運動が邪魔をしてうまく出来ないから、その度に介護者にお願いをし代わりにやってもらうしかない。当然だが、そうする事で私がやるよりスムーズに物事は進む。育児において第一に「子供の安全」なのだから、積極的に介護者に指示を出していかないとならない。だが、無謀なのは頭では分かっていても「母親としては全部やってあげたいのに……」と思い落ち込む事が子供の成長していくにつれて増えていった時期だった。そして、それまで経験した事が無いほど介護者の必要性を感じる一方で、同じくらい自分自身の障害に苛立ちを感じる日々だっだ。子育て経験のある介護者の中には、何となくではあるが私の中の母親としての葛藤を理解できる人もいて、ときに「介護者と障害者」という関係性ではない「同じ母親同士」という雰囲気で仕事に入ってくれるだけで日々のストレスも和らいだ。しかし、どんなに説明しても理解できない介護者も中にはいた。そういう介護者には、悪いとは分かっているがどうしても強く当たってしまう。今思うと私と娘の事をその人なりに考えてくれていたと分かる。本当に申し訳ない事をしたと反省している。当時の私には「自分は母親失格なのでは?」という被害妄想的思考が強く、自分ではどうする事も出来なかったのだ。

娘が通っていた保育園は当時まだ出来て間もない保育園で、園庭はないもののエレベーター付きの3階建で駅近。電動車椅子でも余裕で園内を動けるバリアフリー設計。先生方が皆とても熱心に接してくれて「子供の自己肯定感を高める」という方針をしっかりと持っている保育園だった。そのため、子供たちに様々な経験をさせる。少し子供にはハードルが高い課題でも絶対できるようになるまで職員全体でサポートしてくれた。そんな保育園で育っていく子供たちは「誰かが出来ないときは、その事を否定するのではなく一緒にどうやったら出来るか考えよう」とする思考に育っていった。そして、よく保育園の保護者向けの勉強会で「まずは家庭内の人間関係が否定的では駄目です。夫婦間・親子間でもちゃんと相手を認めてあげて下さい」という事を話されていた。

娘をこの保育園に通わせて私自身が学んだ事がある。それは、「自分の出来る課題をしっかりやり遂げる」という事だ。成功体験がその子の自信へと繋がっていく。初めは何も出来ない娘だったが頑張って1つずつ出来るようになる姿をみて、自分も被害妄想的思考ではなく目の前にある課題(自分なりの育児)に前向きに取り組んでいかなければと思う様に変わっていった。

この経験から「自己肯定感」とは、誰かに与えてもらう物でも1人で作る物でもなく互いに高め合っていく物なのではないかと私は思う。





平田真利恵(ひらたまりえ)
昭和53年生まれ、脳性麻痺1種1級。
2002年の秋、「東京で自立生活がしたい」という思いだけで九州・宮崎から上京。障害者団体で2年ほど自立支援の活動をした後、2007年女の子を出産。シングルマザーとして、介護者達と二人三脚で子育て中。 地域のボランティアセンターで、イラスト作成や講演活動を行なっている。