それは昨年のちょうど今頃、とある求人広告を見かけたのがすべての始まりだ。
高齢の家族が施設でお世話になっていたり、身内に医療関係者がいるものの、それまでは取り立てて介護業界に興味があったわけでもない。労働集約型の典型で重労働、万年求人紙面を占有してる、といった印象でどちらかと言えばネガティブ。
そんな折、「3日で資格/夜勤/直行直帰」などのワードがふと目にとまる。今までであればタップすることもなく流していただろう。広告主の思惑にまんまとハマったと言えばそれまでだが、不思議と指が止まった。カタカナの社名に聞き覚えはない。ラボラトリー…研究所??どこぞのベンチャーかスタートアップかと、四季報をめくった記憶がある。
それまで、介護といえば高齢者を対象にしたイメージ。まず、障害者の介護?しかも在宅?そのうえ24時間?…から理解が必要な具合。もちろん障害者が出演しているTV番組の存在や、ALSの政治家の誕生などは情報としては見聞きしていた。ただそれはどこか他人事で、進んで視野に入れることはない縁遠い世界。メディアを媒介したデータでしかなかった。
翻って現在、その世界に足を踏み入れ、さらに常勤に転じて半年が過ぎようとしている。若葉マーク付きのインサイダーとなった頃、ふとあることに気付かされた。それは障害者であっても日々の「生活」があるということ。(なに当たり前のこと言ってんだ、と笑ってもらって結構です。)
食事をし、そして排泄する。家族と団欒し、時に反目し合う。定時の占いにチャンネルを合わせ、はたまた地道なポイント活動に勤しむ。過去の分岐点を回顧し、一方で不透明な未来を悲観する。そんな普遍的な日常の営みが、そこには確かに存在する。
なんか哲学的な方向に話しが向かいそうだが、上長との面談でもそんな話題になった。一般に年単位の時間軸で関与し、その人の内部に少なからず介入するわけだから避けては通れない。時間に追われルーティンワークになりがちな現場でも、そんな視点は胸に忍ばせておきたい。
まだ若葉マークを前後のみならず、上下左右に何枚も貼って走っているような自分。自動車のように1年で全て剥がせるはずもない。視界不良な道であっても、徐行しながら距離メーターを進める。やがて1枚ずつ減っていき、最後の1枚となるかもしれない。だがそれは、どこか目立たない所に残しておきたい気もする。黄と緑を纏った今の視座を忘れないためにも。