『稀有な共生家族を生きてきた節目に(3)~家事(能力)の大切さ』
私は現在47歳だが、23歳の時に娘を授かった。
その娘も当時の私と同じ23歳となり、今年、大学を卒業するというのだから時の流れの早さに驚く。
ものごとは過ぎ去ってみれば早かったと感じがちなものだが、
育児期の渦中は、いつ果てるともない時間感覚と、困難さを感じていた。
今回は、妊娠・出産期、すなわち周産期の、特に家事(能力)の大切さについて少し書かせていただきたい。
私の娘は骨が弱い障害を持って生まれた。
娘の母(当時の連れ合い)の安積も、骨が弱い障害を持っており、
遺伝の確率は2分の1。
そして娘も同じ障害を持っていることが、出産前からエコー検査で分かっていた。
通常より大腿骨などの長さが短く、また湾曲していることから見て取れた。
我が家の場合、母である安積が骨折を数々経験してきたので、
その経験があったことは大変大きい。
「骨形成不全症」であることをわからずに通常分娩で出産すると、
複数箇所骨折して生まれてくる、ということがある。
その意味では、最初から十分予想がついており、
帝王切開で、とても誠実で信頼のできる女性の産婦人科医の方に執刀いただいて、
1996年5月9日、無事娘宇宙(うみ)は骨折もなく生まれてくることができた。
私は、安積と暮らすようになるまでは、自宅生であり、
専業主婦であった母に生活面で全てお任せであったので、家事能力がほぼゼロに等しかった。
学校教育においては、そこそこ適応力があったと思うが、
こと家事に関してはからっきしで、ダメ主夫街道をまっしぐらであった。
四角い部屋を丸く掃除機をかけ、
風呂を洗っても垢が落ちきらず、
ふとんのシーツを替える発想すら湧かず、
洗濯物はクシャクシャに干し、
料理は、インスタント麺を茹でられるぐらいと、
壊滅的だった。
(「インスタント麺を茹でるのは料理じゃない」というツッコミもよく入ったものだ)
安積は命がけの出産であり、私が生活力を付けないとそのしわ寄せが確実に彼女に行くことからも、
非常に厳しいトレーナーとなったが、
私にとっても得難い体験学習の機会となった。
大学4年の秋に妊娠がわかったので、大学四年から私は家事修行の日々に入ったのだから、私の就職活動は変わり種だ。
私が当時、今から20年近く前、2級ヘルパーの資格取得で講義を受けた折、
多くのお年寄りと関わってきたケースワーカーの方から、
「夫を亡くすと妻は一定期間喪に服したら元気になるが、
妻を亡くすと、残された夫は、生活力がなくて部屋がひどい有様になることが多い」という話を聞いた。
靴が玄関に散乱し、天井にロープが張られて服が無造作に掛けられ、古い食べ物にあたって体調を崩したり亡くなることもままある、と。
まさに自分の将来像が、そこに見えるようであった。
近代化以前は、
男も暮らしの中で様々な生活力を身につける機会があったが、
戦後・行動経済成長以降、生活力は軽視され、
いざ子どもを授かったら、家事や子育ての経験がほぼ無いところから向き合うことが多いのは、この時代の困難の一つだろう。
産前産後は大変なことも多いので、
その時期に夫に家事力があるかないか、また子育てに取り組むコミットがあるのとないのとでは、
かなりの違いが生じる。
すでに到来しつつある超高齢化社会の中で、
家事能力というものは、もっと見直されてしかるべきだ。
連載の初回に、家事のことで丸5年はどやされない日がなかった、(連載1「稀有な共生家族を生きてきた節目に 〜“苦の中の未来”によせて〜」)という話を書いたが、
それは同時に、得難い学びを得た機会であったとも言える。
まあ、より穏やかな形で身につけることができたなら、もっと円満にやれたのかもしれないが。
ともあれ、普通に手早く料理できるようになり、
複数のことを同時並行的にこなせるようになったことなどは、主夫修行の成果だ。
当時、安積からは、
「なんで台所にものを取りに行ったのなら、ついでに台拭きも持ってこないかね?」、
「食器を片付けたら、台を必ず拭くことを、いつになったら身につけるの?」などと、
私の非効率さや段取りの悪さについて、常に指摘され、
それらを亀の歩みで一つ一つ身に付ける日々だった。
また、我が家はずっと共同生活が基本で、シェアハウスだったが、
同居の友人は、フェミニストの女性が多かった。
したがって、更に私の肩身の狭さといったらなかったが、
よく鍛えられたことには感謝せねばなるまい。
お手柔らかであったら、やっぱりありがたかったのだが。。
それにしても、家事力ゼロの男性を、生活男に育てるには、ずいぶんリソースがかかるものだ。
子育てにおいては、子どもに「宿題やりなさい、勉強しなさい」だけでなく、
家事ができるように伝えていくことはとても大事であると思う。
また、「子育て」には、
常にそれとセットで「親育ち」が付随する。
娘の誕生とともに、私も徹底的に鍛えられ、成長する機会を得たのはとても貴重であった。
少し長くなったので、
今回はこのへんで。
【略歴】
1972年神戸生まれ。早稲田大学第一文学部卒。在学中に障害者運動の旗手の一人である安積遊歩と出会い、卒業後すぐに安積と同じ骨の弱い障害を持つ愛娘宇宙(うみ)を授かる。猛烈な家事育児介助とパートナーシップの日々は、「車イスからの宣戦布告」「女に選ばれる男たち」(共に太郎次郎社刊)に詳しい。資格持ちヘルパーとして長年介助の仕事をしながら、フリースクール運営や、Webサイト作成・システム構築業に従事。2011年の東日本大震災・原発事故以降は、「こどもみらい測定所」代表、全国の測定所のネットワークの「みんなのデータサイト」事務局長・共同代表を務め、放射能測定・対策活動に奔走。2018年初頭からユースタイルラボラトリー・土屋訪問介護事業所の社内システムエンジニアとなり、長いケア領域の経験とWeb関連技術のスキルを生かして活動中。安積とは紆余曲折の末パートナーシップを解消し、今は新家族と猫と暮らす日々。
その娘も当時の私と同じ23歳となり、今年、大学を卒業するというのだから時の流れの早さに驚く。
ものごとは過ぎ去ってみれば早かったと感じがちなものだが、
育児期の渦中は、いつ果てるともない時間感覚と、困難さを感じていた。
今回は、妊娠・出産期、すなわち周産期の、特に家事(能力)の大切さについて少し書かせていただきたい。
私の娘は骨が弱い障害を持って生まれた。
娘の母(当時の連れ合い)の安積も、骨が弱い障害を持っており、
遺伝の確率は2分の1。
そして娘も同じ障害を持っていることが、出産前からエコー検査で分かっていた。
通常より大腿骨などの長さが短く、また湾曲していることから見て取れた。
我が家の場合、母である安積が骨折を数々経験してきたので、
その経験があったことは大変大きい。
「骨形成不全症」であることをわからずに通常分娩で出産すると、
複数箇所骨折して生まれてくる、ということがある。
その意味では、最初から十分予想がついており、
帝王切開で、とても誠実で信頼のできる女性の産婦人科医の方に執刀いただいて、
1996年5月9日、無事娘宇宙(うみ)は骨折もなく生まれてくることができた。
私は、安積と暮らすようになるまでは、自宅生であり、
専業主婦であった母に生活面で全てお任せであったので、家事能力がほぼゼロに等しかった。
学校教育においては、そこそこ適応力があったと思うが、
こと家事に関してはからっきしで、ダメ主夫街道をまっしぐらであった。
四角い部屋を丸く掃除機をかけ、
風呂を洗っても垢が落ちきらず、
ふとんのシーツを替える発想すら湧かず、
洗濯物はクシャクシャに干し、
料理は、インスタント麺を茹でられるぐらいと、
壊滅的だった。
(「インスタント麺を茹でるのは料理じゃない」というツッコミもよく入ったものだ)
安積は命がけの出産であり、私が生活力を付けないとそのしわ寄せが確実に彼女に行くことからも、
非常に厳しいトレーナーとなったが、
私にとっても得難い体験学習の機会となった。
大学4年の秋に妊娠がわかったので、大学四年から私は家事修行の日々に入ったのだから、私の就職活動は変わり種だ。
私が当時、今から20年近く前、2級ヘルパーの資格取得で講義を受けた折、
多くのお年寄りと関わってきたケースワーカーの方から、
「夫を亡くすと妻は一定期間喪に服したら元気になるが、
妻を亡くすと、残された夫は、生活力がなくて部屋がひどい有様になることが多い」という話を聞いた。
靴が玄関に散乱し、天井にロープが張られて服が無造作に掛けられ、古い食べ物にあたって体調を崩したり亡くなることもままある、と。
まさに自分の将来像が、そこに見えるようであった。
近代化以前は、
男も暮らしの中で様々な生活力を身につける機会があったが、
戦後・行動経済成長以降、生活力は軽視され、
いざ子どもを授かったら、家事や子育ての経験がほぼ無いところから向き合うことが多いのは、この時代の困難の一つだろう。
産前産後は大変なことも多いので、
その時期に夫に家事力があるかないか、また子育てに取り組むコミットがあるのとないのとでは、
かなりの違いが生じる。
すでに到来しつつある超高齢化社会の中で、
家事能力というものは、もっと見直されてしかるべきだ。
連載の初回に、家事のことで丸5年はどやされない日がなかった、(連載1「稀有な共生家族を生きてきた節目に 〜“苦の中の未来”によせて〜」)という話を書いたが、
それは同時に、得難い学びを得た機会であったとも言える。
まあ、より穏やかな形で身につけることができたなら、もっと円満にやれたのかもしれないが。
ともあれ、普通に手早く料理できるようになり、
複数のことを同時並行的にこなせるようになったことなどは、主夫修行の成果だ。
当時、安積からは、
「なんで台所にものを取りに行ったのなら、ついでに台拭きも持ってこないかね?」、
「食器を片付けたら、台を必ず拭くことを、いつになったら身につけるの?」などと、
私の非効率さや段取りの悪さについて、常に指摘され、
それらを亀の歩みで一つ一つ身に付ける日々だった。
また、我が家はずっと共同生活が基本で、シェアハウスだったが、
同居の友人は、フェミニストの女性が多かった。
したがって、更に私の肩身の狭さといったらなかったが、
よく鍛えられたことには感謝せねばなるまい。
お手柔らかであったら、やっぱりありがたかったのだが。。
それにしても、家事力ゼロの男性を、生活男に育てるには、ずいぶんリソースがかかるものだ。
子育てにおいては、子どもに「宿題やりなさい、勉強しなさい」だけでなく、
家事ができるように伝えていくことはとても大事であると思う。
また、「子育て」には、
常にそれとセットで「親育ち」が付随する。
娘の誕生とともに、私も徹底的に鍛えられ、成長する機会を得たのはとても貴重であった。
少し長くなったので、
今回はこのへんで。
【略歴】
1972年神戸生まれ。早稲田大学第一文学部卒。在学中に障害者運動の旗手の一人である安積遊歩と出会い、卒業後すぐに安積と同じ骨の弱い障害を持つ愛娘宇宙(うみ)を授かる。猛烈な家事育児介助とパートナーシップの日々は、「車イスからの宣戦布告」「女に選ばれる男たち」(共に太郎次郎社刊)に詳しい。資格持ちヘルパーとして長年介助の仕事をしながら、フリースクール運営や、Webサイト作成・システム構築業に従事。2011年の東日本大震災・原発事故以降は、「こどもみらい測定所」代表、全国の測定所のネットワークの「みんなのデータサイト」事務局長・共同代表を務め、放射能測定・対策活動に奔走。2018年初頭からユースタイルラボラトリー・土屋訪問介護事業所の社内システムエンジニアとなり、長いケア領域の経験とWeb関連技術のスキルを生かして活動中。安積とは紆余曲折の末パートナーシップを解消し、今は新家族と猫と暮らす日々。