私はこれまで美術、音楽、舞台といった文化に触れながら表現の可能性について考え、仲間と楽しみながら実践し学んできました。
ある時「食」のもつ表現の魅力にはまり、中でも「発酵」については宇宙的な無限の可能性を感じ、生命とは何か、共生とは何かといった根源的な問いとともに、謎多き小さな微生物から大きな生命の循環を実感しました。
私にとっては、パン作りにおいての微生物との対話は互いに美味しさと幸せを分かち合える心ときめく時間となり、「目に見えないものの声を聴く」ことに魅力と可能性を感じ20年以上奔走し続けて来ました。
結婚し子供が生まれ、人という複雑ながらとても愛しい生命と言葉に頼らないコミュニケーションを重ねながら、暮らしの中で生きることの素晴らしさとその難しさに直面し、後に父の病いと死に立ち会うことで自分の人生を振り返りもう一度向き合うことになりました。
度重なる震災に不況、自死が続く優しくない社会、そして戦争。昨今の社会の現実は厳しいものばかり。
そんな中で出会った希望を育てる活動家の方たち。包括的伴走型支援で誰一人取り残さないまちを創る社会福祉法人、ロボットやテクノロジーで孤独の障害を解消する発明家、障害福祉を起点に異彩のアート文化を創る福祉実験カンパニー、当たり前という思い込みから解放する歴史思考を啓蒙する起業家、弱いものに寄り添い一緒に声をあげたたかう政治家、他にもビジネスやスポーツでも活躍されている障がいと生きる人たち。知ることで会うことで数多くの勇気と希望をいただきました。
障がい福祉とその歴史を学ぶ中、これまでの社会はマジョリティの意識が無意識的に優先され設計されているのだと実感しました。それを全ての人が意識的になることが誰もに対し優しい社会の発展に繋がると思います。
マジョリティの最たる差別意識は、優生思想だと思います。障害と共に生きる人達とその周りにいる親しい人達はこの労働生産性の呪いのようなものに苦しめられ様々な暴力を受けてきたことを知りました。
この差別思想の根をつむためには、小さな声を真摯に聞き対話を重ね、互いが意識的に社会を変えようとする、愛と勇気と根気の伴った努力が必要だと思います。また全ての人にとっての人権を守るためには、社会の中で障害になっているものは何かと考えるような多角的思考が大切だと思います。
日本においては他国と比べまだまだ人権、人生哲学への意識が低いと言わざるを得ないかもしれない。
私達は、病いや障害、老いと向き合い多様な視点からそれらの問題と対峙し、問いを共有しながら理性的にアイデアを実践し続ける当事者であり仲間です。
わからなさと向き合いわかろうと手を伸ばし続けること、そういう、わからなさに耐える知的体力が必要とされる時代に私達は生きている。私はこれから社会の中で「確かにある小さな声を聴く」ことでもっと人の優しさというものに近付きたい。人の生と死に宿る喜びと幸せ、そして子供も大人も素直に笑い合える希望の社会を目指して生きていきたいと思う。
介護の世界に関わろうと思ったきっかけ、心に響いた言葉の一つ。
「人は、誰かに必要とされたい。必要としてくれる人がいて、必要とする人がいる限り、人は生きていける。」(吉藤オリィさん)