介護者と二人三脚の子育て~障害者の育児~

介護者と二人三脚の子育て~障害者の育児~

平田真利恵

昔、所属していた障害者団体にいた子育て経験のある先輩達がよく言っていたこと。

「子供は、相手が自分を守ってくれる存在か否か本能的に見極めてしまうから、障害を持つ親より安全に自分の世話ができる健常者を選ぶ。例えば、子供が赤ちゃんのころ。障害がある親の不安定な抱っこより、安定感があり心地よい揺れもある健常者の抱っこを好むようになる。食事もスムーズに食べさせてくれる方に「食べさせて!」と言うようになる。そして、子供が大人と遊ぶときも動きが大きく高低差が出せる遊びが出来る方が良くなり、親である障害者より介護者の方に懐くようになる。最悪の場合、障害がある親の事を親だとは思わなくなっていくこともある…」

いつもは強気で行政交渉や団体運営をこなす先輩達だったが、この話をする時はとても寂しそうな表情になった。しかし、話が進むにつれ寂しい表情から段々と厳しい表情へと変わり「だから、介護者には出来るだけ子供を抱っこもしないようにお願いした。不安定な抱っこで子供が嫌がっても、抱っこし続けて自分が親だと小さい頃から教えていかないとダメよ!例え、周囲から子供が可哀想だと言われても自分のやり方を理解してもらわないといけないの。特に介護者にはね」と自分の実体験を交えながら後輩である私達に何度も話してくれた。いずれは、先輩達のように子供を産んで育ててみたいと考えていた私は真剣に話を聞ていた。

それから数年が経ち、私は子供を産んだ。病院から退院してきたら、すぐに介護者との育児の毎日が始まる。一般的に産後1ヶ月くらいは、自分の実家に帰るなどして親戚などに子供をみてもらいながらゆっくり過ごす時期なのだが、親とは「子供を生み介護者とだけで育てていくこと」について反対されていたので疎遠気味になっていたので協力は得られなかった。でも、今思えば、はじめから私と介護者達だけで育児に取り組めたのは良かったと思っている。孫の顔を見たら両親も、ついつい手を出してきてしまい、私と介護者のペースを乱されただろうし、私も気を使わなくていい家族に子供の面倒を任せてしまったかもしれない。そうなれば、折角集めた介護者だって自分の立ち位置が分からなくなり辞めてしまう人もいたと思う。

子供が生まれるまでの間、出来るだけ育児に関する本や映像、育児に使えそうな便利グッズを集めた。私に出来ることは沢山の情報を集め知識だけでも万端に整え、一緒に子育てをしていく介護者への不安を少しでも減らす事だと考えたからだ。子供の世話の指示を出すのは私だが、実際にこどもに触れるのは介護者だ。私の指示が正確でなければ介護者は不安がる。そして、本能的に子供を守るため介護者独自の判断で動いてしまう。緊急時はそうして欲しいが、日常的にそれをやられると困る。介護者1人1人に自分の考えを伝えていき子供の事をお願いした。

安定期に入った頃、市の健康センターでやっているパパママ教室に通うことにしたが、体調が悪く会場まで行くことが難しかった。健康センターに調整をしてもらい職員の方が自宅まで来て講義を受けることになった。沐浴の仕方やおむつの変え方、ミルクの作り方を持参した人形などを使って教えてくれた。その後、私が調べたことや疑問に思ったことなどを質問したり、介護者側も疑問や不安に思う事や具体的な身体の使い方などを質問していった。

その様子をみていた職員の方から最後に「はじめに連絡を頂いた時はこちらもとても不安でした。障害のある方とヘルパーさんだけで育児をしていくというのはね…。でも、今日お2人と話していて、ヘルパーさんともしっかり連携も取れている様ですし平田さんの意思もハッキリしていたので安心しました。これからも訪問で頻繁に伺うと思いますが、よろしくお願いしますね」と言ってニッコリと微笑んで帰っていった。職員の方が帰った後、介護者と2人でホッとして泣いてしまった。実は、この日一緒に講義を受けた介護者は、数ヶ月前に私が産婦人科で医師から「明らかに育児ができないと分かってる人の出産は引き受けられません!……」と言われた際に一緒にいた介護者だった。

2人でショックを受け病院のロビーで泣いて帰った日から、これから先どうやって育児をしていくのか?どうすれば周囲に自分達のことを納得してもらうかを何度も話し合ってきた。だから、今回の職員の訪問はある意味あの日のリベンジのようなものだった。そして、ようやく誰かに「あなた達は自分のやり方で子育てしていってもいいよ」と自分達がやろうとしている事を認められた気がして嬉しかった。

私は、それまで介護者と真剣に何かに取り組んだ事がなかった。それどころか心の中で介護者の存在をうざったくさえ思っていた。だが、地域で自分が本当にやりたい事をしようとすると絶対に人の手を借りないと実現しないことに気づく。そう考えると、それまで私は本当にやりたい事がなかったのかもしれない。妊娠をきっかけに私は初めて、それまで生活を支えてくれていた介護者達と向き合えたのかもしれない。



平田真利恵(ひらたまりえ)
昭和53年生まれ、脳性麻痺1種1級。
2002年の秋、「東京で自立生活がしたい」という思いだけで九州・宮崎から上京。障害者団体で2年ほど自立支援の活動をした後、2007年女の子を出産。シングルマザーとして、介護者達と二人三脚で子育て中。 地域のボランティアセンターで、イラスト作成や講演活動を行なっている。