「ロックの歴史」中山康樹著 講談社現代新書

伊藤一孝



「ロックの歴史」中山康樹著 講談社現代新書

現在20代、30代の人にとって「ロック」という単語は既に死語となっているか、あるいは故・内田裕也氏の合言葉「ロケンロール!」くらいしかピンと来ないだろう。しかし「ロック」は、1960年代から1970年代後半に青春時代を過ごした者にとって単なる「時代のBGM」を超えた影響力を持っていた。とはいえ所詮「流行音楽」。時代とともに栄華盛衰を迎えることは世の常だ。「ロック」の興隆に反して、一時代を築いた「ジャズ」は「時代遅れ」の烙印を押されていた。

本書は、ジャズ専門誌として人気を博した「スイングジャーナル」の元編集長・中山康樹氏が、本分のジャズではなくロックの歴史について論評した佳作である。

1950年代、流行音楽の発信地はアメリカだった。アメリカ発のヒットチャートこそがグローバルスタンダードだった。1960年代に入り、The Beatles、The Rolling Stonesのデビューを皮切りに突如British Rockが、世界中を席巻。この波動は「British Invasion(イギリスの侵略)」と呼ばれ、世界中の若者の心を揺さぶった。本書では、流行音楽の世界では小国だったイギリスで、The Beatlesをはじめとする「ロック」が開花したのは何故か。どのようなプロセスを経て「ロック」は、世界の共通言語にまで進化したのかという点について言及している。

「ロック」はかつて、音楽ばかりではなくレコードジャケット、ファッションなど、世界中に刺激を提供し影響を与え続けてきた。そこには発信者ばかりではなく、受け止める側にも「あこがれるチカラ」が漲っていたと思う。

「あこがれる」という言葉を広辞苑で引くと「物事に心が奪われる」「思いこがれる。理想として思いを寄せる」とある。アメリカで生まれた「ブルース」「ロックンロール」「ジャズ」に打ちのめされたイギリスの若者が、徹底的な模倣や挫折を経てオリジナルの音楽を手にするまでの流れ。イギリス勢の進攻を受け止め「もっと新しい表現を」と、模索し研究し続けたアメリカ勢の逆襲。イギリス・アメリカ両国の若者が「あこがれるチカラ」を武器に、相互に影響し合いながら高い熱量を時代に放出してきたプロセスが「ロック」をより芳醇な表現へと進化させていったのである。

インターネットがなかった時代。日本で欧米の「ロック」を知る手がかりは「Music Life」などの音楽雑誌しかなかった。私自身、子供の頃は貪るように読んだものだ。雑誌に掲載されたステージ写真を見ながら、ライブ盤(当時は、実況録音盤と呼ばれていた)を聴く。映像は自分の頭のなかで夢想するしかない。こうした「情報」に対する渇望感もまた当時の若者の「あこがれるチカラ」を強くしたのだと思う。

「あこがれるチカラ」。それは仕事にも活かされるスキルだと感じている。諸先輩の一挙手一投足に凄みを感じ「いつかは乗り越えたい」と切磋琢磨する。その果てに自分なりの「やりかた」が見えてくる。今では旧世代の精神論と受け止められるかもしれないが。

還暦まであと数年という現在、私自身の「あこがれるチカラ」は、20代30代と較べれば、ずいぶん弱くなってきている。では自分が「あこがれられる存在」になっているのかと己に問うてみる。さすがに、ただただ恥じ入るばかりである。

とはいえ、Paul McCartneyもMick Jaggerもあと数年で80代という年齢だ。みな現役で、今でも東京ドームを満杯にしている。彼らの存在に心底あこがれた季節が私にもあった。この駄文を認めながら「あの頃」を思い出し、「あこがれるチカラ」の大切さを再確認した次第である。


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