私が23の夏.父は倒れました。
原因はくも膜下出血。
そして救急車で運ばれ父は集中治療室で数日を過ごすことになったのです。
細い糸でかろうじて繋がった命。
いつどうなるかわからず予断を許さない状況の中で私たち家族は、集中治療室の近くに用意された家族用の控室で数日を過ごしました。
一日に数回、父に会いに行く廊下で響く電子音は、まるで父の心臓の音に聞こえました。
時々乱れるそのテンポに、言葉では表せないような恐怖を感じながら廊下を急ぎました。
何としても助かってほしい、藁にもすがる思いで手に汗を握りながら頭が一杯になります。
「95%助からないが、手術をすれば5%の確率で助かる可能性もある。
ただ、助かっても植物状態、もしくは後遺症が残る可能性が大きい」と医師から告げられました。
それでも「手術をするか否か」を問われ、気が付くと即答でその5%にかける旨を医師に伝えていました。
その晩、もしも助かってくれたら…。
自分らしく生きれなくなった父は、それで幸せなのだろうか。
手術が上手くいっても後遺症が残るであろう父を、私は仕事をしながら子供を育てながら、どう支えていけばいいのだろうかと不安もよぎりました。
父の幸せを願う気持ちと、様々な不安が心のなかで渦巻きました。
それから数日して父は手術を受けることも出来ずに亡くなってしまいました。
その時なぜか、父がほっとしているように思えたのですが、それは自分の中にある気持ちの一部であるのかもしれないと、辛く悲しい葛藤が頭から離れませんでした。
それからかなりの月日を経て、重度訪問をしているこの会社に出会いました。
父が利用者様と同じような立場になっていたかもしれないという思い
そのご縁にとても感謝したのです。
そしてお仕事をしていくうちに、不安だった当時の私が心から望み切望したのは癒やしだったことに気づいたのです。
日々私は利用者様と過ごす時間、笑顔でご挨拶をし、笑顔で過ごすことを心がけています。
勿論、利用者様やそのご親族の方々の辛さや苦しさ・不安はそれぞれ違います。
ですから私が感じた思いや経験とは異なるとも思います。
それでも少しでも寄り添い利用者様との時間を大切にすることが
かつての自分の葛藤に対する答えのように思えてなりません。
ある時、病気による合併症で認知症になった利用者様のところに久しぶりに入ることになりました。
彼女には事情があり、一ヶ月ほど施設ですごしたのち帰ってくることが出来ました。
しばらくぶりに会った私はいつも通り笑顔でご挨拶をすると彼女は
『あ!優しい顔だ!』
と、嬉しそうに笑顔で挨拶をしてくれたのです。
その時は本当に嬉しかったです!
毎日そういう小さな喜びを大切に訪問させていただいています。
ケアに入りながら思ったことは
利用者様は一人ひとり違っていて、内向的な人もいれば外交的な人もいる。
几帳面な人もいればめんどくさがりの人もいる。
そして私たちにとっては仕事場になるわけですが、
利用者様にとっては日常の一部です。
私たちが利用者様のところで一時的に頑張れたとしても
利用者様は頑張り続けることはとても難しいです。
将来の不安から涙が止まらなくなってしまうこともあります。
失敗も経験しながらたくさんのことを教えて頂きました。
この仕事は目の前にいる利用者様だけに時間を使える本当にやりがいのある仕事です。
医療的ケアなど会社で行われる専門的な知識を勉強できる機会を活用し、
少しでも多くの知識を身に着けたいと思います。
これからも当事者になった時の気持ちを忘れずに、
多くの優しい時間を過ごして頂けるよう
より一層努力していきたいです。