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でこぼこ道を歩く~静かな幸福~

でこぼこ道を歩く~静かな幸福~

城谷平



僕が住んでる西早稲田からは三ノ輪まで早稲田の都電が走っている。東京ではここと世田谷線のみが生き残っている路面電車。最寄りは面影橋駅、大昔フォークソングとしてうたわれたこともあるし、“同棲(どうせい。死語?)”という言葉を流行らせた神田川の舞台もすぐそこ。石鹼がカタカタ鳴ったという銭湯はとうにない。僕は文庫本をもってゆっくり、ぼんやり終点の三ノ輪まで散歩がてら出かけるのが好きだ。乗ってみると老人が多い。だから座れないことが多い。皆さん、自然に席を譲る。

 終点の三ノ輪につくとすぐ線路わきに「ジョイフル三ノ輪」という商店街がある。総菜やさんや生餃子だけを売ってるお店なんかを冷かしながら、ひと駅分ほどにも長いアーケードを半分も歩いたあたり、「藪蕎麦」という店の手前に来るといつも、異臭がする場所とお店がある。でも、いつも鼻の奥にツーンと来るその臭いが薄まってる。

 異臭とは顔をしかめるだけでなくどこか食欲をそそるものもある。そこは八百屋さんでもあり漬物屋さんでもあった。もう土地に臭いが染みついてて文字通り臭い存在感をはなっていた。それは塩漬けのくったりした野菜の黒ずんだアクの臭いなのか、古漬けのタクアンの臭い、様々なぬか漬けの臭いなのか。見たこともないような野菜の漬物。何十年も積み重ねなった複雑な臭い。見かけともども結構グロでさえあった。

 でも本能が、「美味しそう」ともいってるのもわかる。僕はダメだけど、あのクサヤの臭いをかいでうっとりして鼻の穴を引くひくさせる人だっている。僕は通りがかるとたくあんやら名前も知らぬ野菜の漬物をたまに買った。「ここのじゃなきゃダメ」という奥様ファンは多かったと思う。スーパーでは絶対買えない味。

 90歳にもなるというお爺さんがいて、なんだか背中が寂しい。腰が当然のように曲がってる。寒空の下あかぎれの手で漬物をつけてきたんだろう。その人がたくさんある大きな漬物の樽を電鋸(のこ)でガリガリ切ってる。なんだかズキンと胸を突かれた。

 商売道具の大事な漬物桶を電鋸で切るとはどういうことだろう、僕の顔には?マークが出ていたのだろう。話しかけたわけでもないのに、お爺さんは僕のほうを向いた。でも本当は話しかけてほしかったのかもしれない。

 「廃業することにしたんだ。奥さんの具合が悪くてね」。自分から口を開いた。おじいさんは二代目で親の代から100年近く続いた店だという。
 お母さんひどいの?と聞くと「パーキンソン病なんだ」。90歳と80代後半の老々介護が始まろうとしていた。後継ぎも介護してくれる家族もいなさそうだ。でもそれは憂うべきことなのか?

 僕は介護先で二年以上も付き合った夫婦で、旦那は脳性麻痺で全身の麻痺、奥さんはパーキンソン病というカップルを知ってる。はた目には悲惨に見えたかもしれないが仲のいい幸福な人たちだった。明るくさえあった。旦那が亡くなる前夜まで付き合った僕が言うんだから間違いない。水入らず。静かで幸福な二人だけの時間をゆっくり過ごしていた。僕は空気になって、この二人の時間がずっと続いてくれればいいと思った。

 旦那さんは、去年春の最後の朝、奥さんが起きて様子を見ようとするとすでに息を引き取っていたそうだ。「たぶん苦しみは少なかったと思いますよ」と奥さんは言った。そういう人だったなー、と思い出す。静かな亡くなり方だった。旦那さんは僕のどこが気に入ったか、へたくそな僕でも怒られたことはなかった。相性とは不思議なものだ。上半身をベッドに横たえ、たまに笑ってくれた。 

 三ノ輪の漬物やのおじいさん「下は貸すことにしたんだ(一階は現在は店舗)」。店頭から、木の昔ながらの和風のガラス戸が見えて、その先が居間らしい。典型的な街のお店。仲のいいご夫婦であろう。病気は大変だけど、根拠はないけど、幸せになれるよ。そう思う。

 お年寄りのご夫婦で長くやってて、どこも同じな後継者難でお店をやめざるを得ない。こんな店が今年は消費税上げのせいか、ことに多い。取り返しのつかないことだと思うんだが。僕らは大事なものをどんどん失っているんじゃないか。

 こんなどこにもない店がなくなるのは残念だと思う。世の流れだと思いたくはないけど、この東京では有数と思えるほど賑やかだった、この商店街もシャッターを下ろしてしまった店が目立って増えてきている。まだまだお客さんは多いけど。

 商店街のどん詰まりまで歩くと、タイ料理の新しい店ができてる。店名が有名な昔のアメリカ映画の題名“apokaripusunau”「地獄の黙示録」というのは悪い冗談か。

 「冗談じゃねーよ」。そこから引き返し、おじいさんの廃業した店からミカンとニンニクを買う。手切りのごぼうと人参も欲しかったけど。おじいさんにはうまく切り抜けて新たな生活を始めてほしいと願う。次に来たときまたのぞくけど。

 ここらは、いわゆる下町で、まだまだ地域のコミュニティは残っている。たまたま寄った立ち食いソバ屋で、病院帰りというおじいさんがそばを食べてて、体が不自由そうなその男性がよっこらしょとどんぶりを返そうとすると、店主が「いいよいいよ」と言葉をかける雰囲気が残っている。おじいさん、腰がなかなか上がらないのだ。なんということもない世間話が始まったりする。

 べたべたの人情は得意ではないけれど、あの漬物やさんもそんな町の中の一軒なんだから、大丈夫なんじゃないかと楽観的に思っておこう。ミカンは小ぶりだったけどすごく甘かった。  

【プロフィール】 1955年、佐賀県唐津市呼子町生まれ。いつのまにか還暦は過ぎ、あのゴジラよりは1歳年下。介護の仕事に就いたきっかけは先年亡くなった親友のデザイナーの勧め。「人助けになるよ」との言葉が効きました。約二十年くらい前に飲み友達だった大家が糖尿病で体が不自由になり、一昨年暮れに亡くなるまでお世話。思い出すとこれが初めての介護体験でした。今はその亡き大家のうちにそのまま住んでいます。元業界新聞記者、現ライター。