20代前半の頃、某アパレル会社でトレーナー職に就いており、日々数字に表れる成果や、自分が手を加えて変化する店舗、お客様の喜ぶ顔や増えていく顧客、頼りになるスタッフ、華やかで楽しい仕事。
出張ばかりで家に帰れなくても、寝る時間がなくても、やりがいを感じ充実していた。
昇進の話しもあり、意気揚々と過ごしていた。
はずだった。
母親が病気になった。余命半年だそう。
診察室で先生にそう告げられた時、真っ先に思い浮かんだのは「マジか、明日から展示会行くんだけど」だった。
その歳まで我が儘放題、苦労知らずに好き勝手に生きてきた私は、隣に座っている母親が余命宣告をされている場面においても自分の事しか考えなかった。
母親はそのまま入院、私は会社に連絡を入れて事情を話した。
大いなる同情と心配の言葉をもらいながら、「あれ?」と考えた。
母親が入院するとなると、父親は仕事をしているし、弟は大学生だし、祖母はそこそこ元気だがもう家事は出来ないよね?おや?まさか?
まさに「寝耳に水」
料理も掃除も洗濯もほとんどした事がない父親と弟が頼るべくは私しかおらず、仕事を辞めてくれと頼まれた。
そして断る余地などなかったが、辞めたくないと会社に相談した結果、事務職(もどき)で残った。
未来は断たれた、人生終わった。泣いた。自分がかわいそうで。
この余命宣告の夜、弟が「大学辞めて看護師になる」と言い出し、数日後本当に大学を辞めて、看護学校に入るべく勉強を始めた。
彼はしっかりと現実を受け止めており、母親の為に何か出来ないかと行動を起こしたのだ。私は「ふーん」と思った。
数か月が過ぎ、翌日に弟の看護学校の入学式を控えた夜、母親が亡くなった。
ここで「青天の霹靂」
この数か月間、確かに母親は入院しており、お見舞いに通っていたし、何度か危ない時もあったが、その時の感情は「突然の出来事」だった
極端に現実逃避していたのかも知れないが、その数か月間の記憶はほぼ無い。
そしていつの間にか家には祖母のためのヘルパーさんが1日に数回出入りするようになっており、その時に初めて「介護を仕事にしている人」に出会った。
とても感じの良い方で、交換日記(今思うと単なる記録ノート)は楽しかったし、アドバイス通りに頑張った。
祖母が亡くなった時、そのヘルパーさんから「よく頑張ったね。おばあちゃんも喜んでるよ。」と言われ、初めての感情を味わった。そして、ちゃんと泣けるようになった。
数年後アパレル会社を辞めて、次どうしようかなと思いながらも、退職金と失業手当てで1年間ほどグダグダと過ごしていた時、急に「よく頑張ったね」を思い出した。
「そうだ!介護職っていうのをやってみよう!褒められたんだから向いてるかも。」と何とも浅はかな理由で、転職した。おばあちゃんが大好きだったという理由もある。
結果、今に至る訳だが、まあ向いているんじゃないかと思う。思いたい。
自分の事しか考えられなかった20代を過ぎ、人並みに色んな経験をしてからの転職だったのが私には良かった。私を受け入れてくれた福祉業界の懐の深さにも感謝だ。
介護職を始めてから、母親の事も思い出すようになった。人に優しく出来るようになった。
自分じゃない人の事も考えられるようになった。
いつかまた誰かに「よく頑張ったね」をもらえるように。言えるようになりたい。