私が土屋訪問介護事業所に入社して約半年が経ちました。
振り返ってみると、あっという間なような、まだ半年なんだ。。とどちらにでも捉えられるような気がします。
全く別の業種だった私がこの業界に飛び込んだきっかけは、60代と言う若さですい臓ガンを患い亡くなった祖母きっかけでした。
膵臓がんと言うのはなかなか見つかりにくい場所のようで、見つかったら時点でもうかなり進行してると言われています。
その祖母の病気が見つかるまでは、祖母と一緒によく遊んでいました。祖母は小さい頃に突発性難聴で耳が全く聞こえない持病があり、6歳までは聞こえてて生活をしていたと聞いていました。私が話しかける時は、口の動きで言ってる事を理解して話を返してくれていました。そんな祖母は凄く大きな存在であり、私はその祖母の事がとても大好きでした。
しかし私が小学四年生のとき。何かのきっかけで祖母の膵臓に癌があると診断され、見つかった時にはもう取ることが出来ず、もうこのまま取らずに看取りましょうと言われました。
その後は徐々に食事も口から摂取することが出来なくなり、水分も摂取出来なくなり、点滴でどうにか生きてる状態にまでなってしまいました。
その時点では自分で排泄も出来ない状況で、小学四年生でしたがお腹の所から管が出てる。。幼心に鮮明に覚えています。全身が黄色くなってしまう黄疸も出ていました。
もういよいよ危険な状態という電話が家族に入り、祖母の車に乗って病院に向かっていた時に、幼い私が状況が分からずに「そんなに慌ててどうしたの?」と言っていたという話を聞きました。病院に着いた時にはすでに祖母の意識はほとんどない状態で、亡くなる瞬間を目の前で見ました。
そう言った経験もあり、土屋訪問介護事業所に入社しました。
この半年間、様々な利用者様の所で様々な病気をお持ちの方の支援を経験しました。
特に私が印象に強く残っているのがALSの利用者様です。土屋訪問介護事業所を利用する利用者様はALSの方が多いと耳にしました。
私が今1人で入っている利用者様でALSの利用者様がいらっしゃいます。
その利用者様の所で初めて入った時に上司の方がどんどん口の形で何を話しているのかを聞き取っていて凄いな。と思っておりました。
私も初めて入った時は全然何を言っているのか分からずとても戸惑った記憶があります。
ですが、徐々に支援をして行くと仰っている事が分かってきました。利用者様が求めてる事をしっかりと把握した上で、こうですか??こうしますね!とお聞きすると頷いてくれたりしてくれます。また、目線も利用者様と合ってきます。すると私はとても安心しますし、納得してくれたんだなと嬉しくなります。
また、他の利用者様の所で心配だな。と感じてしまっていた利用者様がいらっしゃいました。しかし、諦めずに向き合っていこう!!と思い、支援に入っていると徐々に利用者様も穏やかになり、自然と会話が出来るようになり、とても柔らかくなった感じがしました。
怖いと人は誰しもビクビクしてしまうと思います。自分自身が苦手だなと感じてしまうと、それを利用者様は凄く敏感に感じ取って当たりが強くなったりするのでは無いかと思いました。
また、私は今2ヶ所の利用者様の研修を受けています。ALSの利用者様で医療的ケアがある利用者様です。
文字盤や口文字での会話になり、コミュニケーションをとる上でそちらが出来ないと前に進む事が出来ません。なので私は頑張って参りたいと思います。
私にとって介護=大変と世の中の方から言われていますが、確かに大変ですが私にとって物凄くやり甲斐を感じられます。
元々、中学生の時から介護と言うお仕事には興味があったので、なんの抵抗もなく介護を受け入れる事が出来ました。それも亡くなった祖母のお陰なのかなと思っております。
これから先日本はもっともっと介護人材が足りなく求めてくる世の中になると思います。
最前線で働いていると言う自覚を持ち、これからもこのお仕事を頑張って参りたいと思います!