利用者・加藤拓の経験”知”

加藤 拓


第15回 周囲の人々の理解を得るために必要なこと

私は介護研修の講師を務めたあと、家の近くにあるコンビニのイートインで食事をして帰る。弁当とカップスープを買うのがパターンだが、ここ最近は目新しいカップスープを選ぶことにしている。新商品を敬遠し、いつも同じものを選びがちな自分を変えたくてトライしてみたが、選んだスープがことごとく口に合わないのだ。介助するヘルパーと一緒に、「またか(笑)」と笑い合いつつ、エネルギーを補給している。
どうやら私には、自分に合う新商品を選ぶセンスはないようだ。一方で、母はめざとく新商品を購入してくるうえに、それが我が家に合うものであることが多い。マーケティングの理論によると、新商品にすぐに飛びつく人は2~3%ほどしかいないのだという。母は世の中でも珍しいチャレンジャーなのかもしれない。
新商品はともかく、何かに挑戦することは勇気がいることだ。思い起こせば、私は地域の普通小学校に入学しそのまま進学を続け、教員免許を取得しそれを活かせる場を社会の中で探してきた。その歩みも、挑戦の連続だったと言える。今回は、そこから感じたことを書いてみたい。

以前に書いたが、両親は私が普通小学校に入学するために、母が毎日一緒に学校に行き、宿泊行事には父が付き添うという提案をしてくれた。そしてそれを6年間続けた結果、中学校進学に向けた話し合いの際に地元の区教委の先生は「加藤君は問題なく、楽しく学校生活を送っていますよ」と言い、私たちの味方をしてくれたのである。
両親の努力が実を結んだ瞬間だったと感じる。主張すべきことは主張しながら対立を煽ることはせず、自らの提案を実行し続けたことが小学校と区教委の理解と支援を引き出したと言えるだろう。もちろん、共稼ぎ世帯が主流になった今では、ここまでのサポートを6年間続けるのは難しいことは理解している。

また、私が中学生のときにこんな出来事もあった。当時の成績評価は相対評価で、クラスの中で「5」から「1」まで割合(人数)が決まっており、上位から順に良い評定になる。
私は定期試験等ではある程度の水準の点数を取ることはできていたが、中学1年の1学期の評定は、思いの外低いものだった。テストの点数から考えれば「5」でもおかしくないのに、「4」になっている教科がいくつかあったのである。納得できず、担任の国語の先生に理由を尋ねたところ、「加藤君は書道をやっていないから、その分減点されてしまっているんだ」という答えが返ってきた。私は自筆が難しいためトライしていなかったのだが、それを「やっていない」と判断されたことは心外だった。
そこで、2学期以降はエプロンを着て周囲に新聞紙を敷き詰め、極力汚さないよう工夫して、どんなに汚い字であってもトライしてみた。すると、「味のある字が書けるじゃないか」と、フォローを含みつつもトライしたことを褒めてもらえたのだ。それをきっかけに、美術や技術家庭などその他の実技系の科目も、どんなに拙い出来であっても同じようにトライするようになった。すると、それ以降の成績評価はかなり良くなったのである。

誤解のないように書いておくが、私は中学校の先生方の「率直な評価」には感謝している。小学校では担任の先生が私の障害に配慮した評価をしてくれていたことや、社会に出た際にそのような配慮がされない場合が多いことに気づく機会を与えてくださったからだ。
ただ、果敢にトライしたと言っても、作品の出来はどうしても周囲のクラスメイトのものよりは見劣りする。それでも私の成績評価が改善されたのは、「加藤はやる気がないのではなく、やることもやり方も理解しているが体がついてこないだけなのだ」と、先生方が理解してくださったからではないだろうか。私が色々なことにトライすることで、先生方の私に対する理解も深まっていったのだろう。

小中学校でのこれらの経験を通して、私は「周囲の理解とはしてもらうものではなく、勝ち取るものだ」ということを学んだ。勝ち取るという強い言葉に驚く方もいるかもしれない。だが、立場の違う人同士がわかり合い、協力し合うことは簡単ではないのも事実だ。
前例主義とはお役所仕事の負の側面の権化のように言われるが、今まで通りが楽なのは誰しもそうなのだ。それを変えてまで相手のために対応しようとするには、かなりのエネルギーが要る。そのもとになるのが、相手への正確な理解と共感だ。
そして、それらを引き出すのは当事者の行動と姿勢だと私は思う。何かを手伝ってほしいとき、ただ「手伝ってほしい」と言うのと、「自分でここまではやるからここから手伝ってほしい」と言うのと、どちらがより周囲の支援を引き出せるかと言えば圧倒的に後者だろう。立場の違う相手の理解を得ようとするなら、当事者も気概を見せてできることをやっていくべきなのだ。

利用者とうまくコミュニケーションができずケアへの不満を言われてしまうとか、逆に事業所側に要望を出しても聞いてもらえないといったことは、介護の世界ではありふれた話だ。患者と医療者でも家族同士でも、この類の話はどこにでもあるだろう。立場が違うのだから、課題への考え方やアプローチに差があることは当然だ。
それを踏まえて、自分達にできることをやりながら共に解決しようという姿勢を見せることが大切なのではないだろうか。そのような相手のことを無碍に扱う人や組織はそう多くはないと、私は信じたい。そして、両親がそうだったように、公私ともに目指すもののために建設的な主張をし、行動を続けられる自分でありたいと、改めて感じている。

加藤拓(かとう たく)
1983年生まれ。生まれつき脳性麻痺による身体障害者で、現在は毎日ヘルパーのケアを受けながら、「皆で考えてつくる医療と介護」をモットーに、講演活動やワークショップの開催を続けている。2020年7月からはヘルパー向けの研修講師も担当している。 趣味はゲームと鉄道に乗ること。

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