利用者・加藤拓の経験”知”

加藤 拓


第19回 不測の事態を乗り越えてわかったこと

幸いなことに、私は今のところ、いわゆる「大きな病気」というものはあまり経験がない。病名としては「脳性麻痺」となっているが、私の中では病名というよりも“状態”というような捉え方をしている。新しい病院にかかるときや初めての薬局を利用するときなどは、「既往歴」や「持病」の欄をどう書くか、いつも迷うものだ。そんな私でさえ、この10年で3回ほど入院を経験している。8年前の頸椎椎間板ヘルニアの治療とリハビリ、大腸内視鏡検査のための入院、今夏の「流行りの」ウイルス感染症の治療のための入院だ。それぞれ期間も質もバラバラだったが、それぞれから見えたことや感じたことがある。今回はそのことについて書いてみたい。

2014年の春から夏にかけての頸椎の治療とリハビリのための入院は、最も長く大がかりなものだった。私が大人になってから初めての入院で、入院中は看護師が身の回りの世話をしてくれることすら知らなかった。何を揃えたらいいのかわからず、スタッフの方々のアドバイスに従い、母が家から持参したり売店で購入したりして必要なものを揃えた。頸椎の状態が悪く体の力が入らなかったこともあり、基本的にベッド上であらゆることを行い、看護師のケアに身を任せるしかなかった。患者の世話は看護師の仕事とはいえ、他の患者より“手がかかる”存在だという自覚があったため、忙しくない時間帯を把握してナースコールを押し、用件はまとめて頼むなど、できるだけ看護師の負担が減るよう自分なりに腐心したつもりだ。それは母も同じ気持ちだったようで、「昼食の介助くらいは私がやるから」と、毎日見舞いにきてくれた。それが可能だったのは、手術を受けた病院が家から近かったからである。一方で、その後のリハビリ入院は全く異なる様相だった。
私の体力が戻ってきており、日中は離床してさらに体力をつけ、自力でできることを少しでも増やすことが目的だった。そのうえ、病院が家から遠かったため母の見舞いの頻度は半分以下になり、洗濯物や郵便物の受け渡しをして、リハビリの様子を少し見て帰るというのがパターンになった。治療の進み具合によって入院の意味合いが変わり、家族のサポートの仕方も自然と変わるものなのだ。そしてやはり、自宅から病院へのアクセスは重要な要素だと感じた。

次の2021年2月の大腸検査のための入院は、それまでかかったことがほぼない病院だった。そのため、どこまでのケアが必要かよくわからないことがネックとなった。体調がすごく悪いわけではないものの、検査のために下剤を大量に飲んで出す必要があり、一般の人なら1泊2日でいいところを2泊3日にして、ケアにゆとりを持たせることになった。自分でできることとサポートが必要なこと、ケアを受けるにあたっての要望等を書面にしておけばよかったと、反省したのだった。

そして、今夏には例のウイルスに罹患した。一般的な風邪症状のみだったものの、陽性となると自宅にヘルパーを呼ぶことが著しく難しくなるため、やむを得ず入院となった。発熱外来のドクターが病院と直接調整をしてくださったおかげで、入院までの流れはとてもスムーズだった。しかし、折悪くケアマネージャーも陽性で身動きが取れず、母と私で手分けして各事業所への連絡と調整をせざるを得なかったのだ。病院側も調整には協力してくれたものの、手伝ってくれたのは退院日までで、退院したという連絡が事業所に回りきらずケアが混乱したこともあった。利用者とケアマネージャーが同時に体調不良で動けないというのはさすがにレアケースだとは思うが、多くの事業所がケアに入る場合は、電話やメールなどで利用者が担当のサービス提供責任者と直接連絡が取れる状態にあるのが望ましい。

また、今夏の入院時に母は濃厚接触者となってしまい、荷物を病院に届けてもらうことができなかった。そこで、必要なものを母に連絡し荷造りをしてもらい、母方の叔父夫婦に車で病院まで届けてもらった。着の身着のままで入院してしまったため、2人には本当に感謝している。それと同時に、同居家族以外にもいざという時に頼れる相手を探しておくことの大切さを、強く感じたのだった。さらに言えば、歯ブラシとコップ、髭剃り、ティッシュなど入院時に必要な日用品をあらかじめセットにまとめておく方がいいということもわかった。当然その中身は人によって異なるだろうが、ヘルパーなど家族以外の人に荷物を持ってきてもらう際に、説明しやすく混乱がない。使い古された言い方だが、まさに「備えあれば憂いなし」である。

生きていれば何が起こるかわからないのは、確かなことだ。今回はケアを受けている利用者を念頭にこのコラムを書いたが、体調を崩したときの備えが必要だということは、現在は大きな病気や障害のない人にも当てはまるのではないだろうか。もし自分が体調を崩して一定期間休むことになったらどんなことが起こるか、影響を小さくするためにできることは何なのか、想像してみるだけでも意味はあるはずだ。不測の事態であっても、あらかじめ少しでもシミュレーションしてあればきっと落ち着いて対応できる。病気にかかったり入院したりする経験は、もちろんなければないに越したことはない。しかし、その経験も誰かの糧になることもあるのなら、私は惜しみなく披露していきたい。自分から「無駄だ」と切り捨てなければ無駄な経験などないと、私は思っている。

加藤拓(かとう たく)
1983年生まれ。生まれつき脳性麻痺による身体障害者で、現在は毎日ヘルパーのケアを受けながら、「皆で考えてつくる医療と介護」をモットーに、講演活動やワークショップの開催を続けている。2020年7月からはヘルパー向けの研修講師も担当している。 趣味はゲームと鉄道に乗ること。

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