第5回 2023.4月
難病仲間
今回は、検査入院中の出来事をお話ししますね。
神経病院には全国から、難病ではないかと言われた人たちが大勢集まって来ていました。
その人たちの中には、病名を確定してもらうために何ヶ月も検査を受け続けている人や、
それでも病名が分からず、やむなく退院せざるを得ない人も居ました。
1カ月でALSと確定された私は、幸運だったと言えるでしょう。
また、病名が分かった後に、定期的に検査や治療を受けに来ている人たちも居ました。
日中は検査続きで忙しいのですが、夕方からは暇になります。
私は、平井先生が許可してくださったので、エレベーターで病院の玄関まで降りて行き、
外のテーブルに座って、缶コーヒーなどを飲むのが楽しみでした。
それから、エレベーターホールにあるベンチに腰かけて、本を読みました。
病室の、カーテンに囲まれたベッドの中では、どうにも息苦しくて落ち着かなかったのです。
すると、エレベーターホールで歩く練習をしている男性と、度々出会いました。
ある時私が
「がんばって!」と声をかけたのがきっかけで親しくなり、会うと話すようになりました。
彼が言うところによると、
「東京都の大島で電機店を営んでいたが、身体が思うように動かせなくなったので、医者に診てもらった。
すると、パーキンソン病ではないかと言われたので、この病院を紹介してもらった。
店を休みにして、妻と一緒に来た。
今、検査とリハビリをしてもらっている。
妻は、近所にアパートを借りて住みながら、スーパーでアルバイトをしている。
アルバイトが終わると、毎晩来てくれる。
病名が分かっても、島では治療が受けられないので、店を閉めて、こちらに引っ越そうかと考えている」
との事でした。
私は、難病仲間にはそれぞれ深い事情が有るのだと、改めて悟らされました。
幸い、私は夫に養ってもらえるけれど、彼は店を閉めたら収入が無くなってしまうではありませんか!
多分奥さんが働くことになるのでしょうが、彼の介護もしなければならないでしょうし、さぞ大変だろうと案じられてなりませんでした。
私の病室は、女性だけの6人部屋でした。
隣のベッドのYさんは、明るいムードメーカーで、みんなが暇そうにしていると、
「ねぇ、みんなでお茶を飲みましょうよ!」と声をかけてくれるのです。
病院の給湯室には、お茶の入ったやかんが置いてあり、自由に汲んでも良いのです。
めいめい自分のカップにお茶を汲んで来ると、Yさんのベッドの周りに集まって女子会をしました。
ある人は家族に送ってもらったお菓子を、またある人は見舞い客にもらったお菓子を持ち寄って、みんなで食べながら、楽しくおしゃべりしました。
私は「みんなで歌う美しいうたー野ばら社刊」という本を持っていたので、「歌いましょうよ」と誘いました。
みんな賛成してくれて、本を見ながら懐かしい童謡、唱歌、外国の民謡などを歌いました。
すると驚いたことに、Kさんも一緒に声を出して歌っているではありませんか!
これにはみんなも、Kさん自身もビックリしました。
と言うのは、Kさんは話そうとしても声が出せなかったからです。
そのKさんが、大きな声で歌っているのですから、本当に驚きました。
もしかしたら、話すのと歌うのとでは、脳の別のところを使っているのかも知れませんね。
また、就寝前に隣のベッドのYさんと、よくおしゃべりしました。
Yさんは、パーキンソン病と分かったばかりでした。
私の病気ALSは、初期の頃に進行を遅くするリルゾール(薬品名リルテック)しか薬が無いのですが、Yさんのパーキーソン病は、薬がたくさん有りすぎるので、どれがその人に合うのか、1つずつ試して行かないといけないのです。
治療薬が無いのは切ないのですが、有りすぎるのも厄介なんだと分かりました。
難病と一言で済まされないくらい、症状も病因も様々な人たちが集まっていました。
Yさんとおしゃべりしていた時の事です。
Yさんが
「アーア、退屈ねぇ!」と言ったので、私が
「私ね、20年間小学校や幼稚園なんかで、おはなしを語っていたの。子ども向けだけど聞く?」と言うと
「うん、聞く、聞く!」と、喜んでくれました。
そこで一話語ってみました。
するとYさんは
「面白かった!もっと聴きたいわ」と言うので、次から次へと七話位語った後、
「じゃ、また今度ね」と言うと、Yさんは
「私だけで聴いたんじゃもったいない。みんな退屈してるんだもの!知ってる人に声をかけるから、談話室で語ってよ」と言うのです。
私は、看護士長に許可してくれるか聞いてみました。
すると、
「夕食後の19時から30分間ならいいですよ」と言ってくれました。
翌日の19時に談話室に行くと、Yさんと他に女性が5人待っていてくれました。
私は10分位のおはなしと、5分位の短いおはなしと、2話語りました。
終わると皆さんが口々に
「楽しかったわ!毎日検査ばかりで疲れちゃうし、テレビを観ればお金がかかるでしょう?これから毎晩やってくれない?」と言うのです。
そこで、毎晩2話語り続けました。
口コミで広がったらしく、日を追うごとに聞き手は増えて行き、女性だけでなく男性も来てくれるようになりました。
だいたい20人位になったでしょうか。
その中に、個室に入っている一人の青年が居ました。
それまで彼は、トイレに行く以外は1歩も部屋を出ず、誰とも口を利いたことがありませんでした。
その彼が談話室まで来て、おはなしを聴いてくれたのです。
そればかりか、ある日手を上げて、質問をしたのです。
これには驚くと共に、とても嬉しくなりました。
彼の心を開かせたのは、決して私の功績ではなく、おはなしの持つ不思議な力に違いありません。
語りについての事はまだまだ有るのですが、それは次回を楽しみにしていてくださいね!
雨粒に 打たれてもなお 赤く咲く
空に向け 飛び立つごとし 鉄線花(てっせんか)
並木紀子(なみきのりこ)
1951年生まれ。2009年に進行性難病のALSの診断を受け、現在は人工呼吸器をつけ重度訪問介護サービスを24時間利用しながら生活を送っている。
2018年に絵本を自費出版。
https://www.youtube.com/watch?v=q3DQ84quLPM
「体は不自由でも 心は自由です。空を飛びます。風を切って走ります。楽しい歌を歌います。あなたへ 言葉を送ります。のりこさんの 声を聴いてください。」 推薦文より