利用者・加藤拓の経験”知”

加藤 拓


第30回 委ねて生きるということ

この季節になると、蚊に刺されることは茶飯事だ。気がつくと手足が赤く膨らんで痒いという経験は、誰にもあるだろう。私も例年通りあちこち刺されているが、不思議と今年はあの不快な「ふ~ん」という羽音を聞いた覚えがない。この音の周波数は人が聞き取れるギリギリの高さで、加齢とともに聞き取れなくなっていくのだという。
例に違わず私の聴力も衰えてきたということを、こんなことから実感してしまった。加齢を感じるくらい、私も長い時を過ごしたのである。

思い返せば、私は周囲の人に生殺与奪の権利を握られた状態で40年生きてきたことになる。大袈裟だと感じる人もいるだろうが、決して言い過ぎではない。
私が何を言っても周囲の人が何もサポートをしてくれない状態が1週間程度続けば、まず間違いなく私は死ぬからだ。それゆえ、私は自分から敵をつくるような言動は極力控えてきた。
そのためか、周囲に配慮しつつ自身の主張もするという、かなり神経を使う”外交方針”が身についてしまった。その”外交相手”には、もちろん両親も含まれる。
思春期の男子であれば、親と口論したり逆に全く話をしない期間があったりするのは自然なことだ。しかし、私には明確な反抗期はなかった。
両親へのフラストレーションがなかったわけではないが、そのイライラをぶつけて多少スッキリするよりも、強く反抗して「もう知らん!」と言われて世話をしてもらえなくなるデメリットの方が大きいと判断したのである。
そんな環境で育ったものだから、その後の生活にも仕事にもその方針は自然と踏襲されているのだろう。
第25回でも書いたが、私は仲間達から「自分からは敵を作らないソフトな人あたり」と評されることが多い。ヘルパーやケアマネからも、「拓さんは本当に優しい」と言われる。
しかし、それらが全て私の真心からくるものかと言われれば、そんなことはないのだ。

たとえば、サ責や管理者と新任のヘルパーが一緒に来て引き継ぎをするとき、サ責や管理者が「わからなければ拓さんに聞けば教えてくれるから心配しなくて大丈夫」としばしば言っているが、それを事業所側が言うのはおかしい。
もちろん聞かれれば何度でも説明するが、それは怒鳴ったり嫌味を言ったりしたところで望むケアをしてもらうことにはつながらないからだ。
本来は、手順とそこに込めた趣旨をきちんと理解したケアを提供できるよう、事業所もヘルパーも努めるべきではないだろうか。正直なところ、私に甘えないでほしいと言いたい。

そもそも、ヘルパーのケアによって生活している時点で、自分の“思い通り”になることはかなり少ない。
家でのケアであれば、歯ブラシの動かし方や電気シェーバーの押し当てる強さ、うがいのときに口に含む水の量など、「ちょっと違うんだけどなぁ」と思うことはよくある。
しかし、それを逐一指摘していてはケアが進まないし、実際にそんなことをすればブラックリスト入りへまっしぐらだろう。自分の中で、手順前後してもいいことといけないこと、幅を持たせてもいいことときっちりお願いすることを分け、どうしてもというところだけをお願いするようにしている。
また、手動の車椅子を押してもらって買い物に行く際に、道路のどこを通るのか、スーパーやコンビニでのどのような位置取りをするのか等についても、もどかしいことが多い。
“箸の上げ下ろし”までとやかく言いたくない一方で、事故やトラブルを起こしてはいけないからだ。
実際に周囲の人にぶつかってしまったり商品をダメにしてしまったりしたこともある。
そんな時、睨まれたり注意されたりするのは私だ。
このような場合、原則として私に法的な責任はないが、当然ながら一緒にすみませんと頭を下げる。
やはり現実には知らんぷりするわけにはいかない。

また、私が外での研修やイベントに出席するときにはヘルパーのシフト調整が必要となる。
そのときはまず自身の予定を確認し、その時間帯のヘルパーの顔ぶれと、次のケアの詰まり具合を考える。
外出先でケアを終える場合、次のケアの場所までの移動が長くなることが多いため、詰まっている場合は少し早く終わるようにする。
そのうえで事業所に連絡して確認し、シフトを決めていくのだ。
そこまでヘルパーや事業所の事情を汲んで自ら調整をする義理はない。
ただ、私の都合でお願いするのだからそのくらいの配慮はするべきだと思っているし、各事業所との関係を円滑に保つために必要なひと手間だと捉えている。

私が生きるためには、直接的に周囲の人の力を借り続けなければならない。
様々なことを天秤にかけ、時に妥協をしたり自身が悪くなくても謝ったりしながら、周囲との関係を円滑に保つ。とてつもなく面倒に感じるかもしれないが、これが私の日常であり「委ねて生きる」ということなのだ。八方美人だと感じて良い印象を持たない人もいるだろう。
私の母でさえ「あんたはみんなにいい顔するんだから」と嫌味を言うこともある。
しかし、私の中には「自ら周囲の人を遠ざける」という選択肢は存在しないのだ。
自分なりの思惑も、もちろんある。それでも、私と関わる人にとって私との時間が少しでも心地よく、楽しいものになった方がいいではないか。
私は何があっても、このポリシーを変えるつもりはない。
周囲の人を大切にする姿勢を貫くことが、ヘルパーはもちろん、私を支えてくれる全ての人に対しての、私なりの感謝の形なのだから。
加藤拓(かとう たく) 1983年生まれ。生まれつき脳性麻痺による身体障害者で、現在は毎日ヘルパーのケアを受けながら、「皆で考えてつくる医療と介護」をモットーに、講演活動やワークショップの開催を続けている。2020年7月からはヘルパー向けの研修講師も担当している。 趣味はゲームと鉄道に乗ること。

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