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『夢とチャレンジ』~合理的配慮 前編~

『夢とチャレンジ』~合理的配慮 前編~

安積宇宙



母・遊歩(以下、遊歩)と出かけると、エレベーターなどに並ぶ時は大抵、「前に行きます、通してくださいー」と、先に通してもらうことがよくある。

10代になる前くらいから、だんだんそれを恥ずかしく感じるようになった。先に並んでる人たちにどいてもらって、前に行かせてもらうのは、ずるいのではないのかと感じたからだ。

実際に、「通してください」と言ったときに、快く譲ってくれる人たちもいれば、あからさまに嫌な視線を向けてくる人たちもいる。

エレベーターの列で、先に通してもらうために声をかける時、遊歩は「エレベーターは私たちが作ってきたのだから。」と言う。実際に並んでる人にも「このエレベーター、作ってきたの私たちなので先に行かせてもらいますね」というようことを伝えて先に行く。

たしかに、エレベーターがあるのは、遊歩や遊歩の世代の障害を持った人たちの当事者運動のおかげ。20年くらいかけて、エレベーターがない駅も、駅員さんや周りの人に声をかけて、階段を車イスを持ってもらって登り降りし続けたおかげで、エレベーターの必要性が証明され、2000年に交通バリアフリー法が施行された。そのおかげで、乗客の多い駅や、利用者が多い公共施設などには、エレベーターの設置が義務付けられたのだ。

それを知った上でも、私が恥ずかしく感じる気持ちはなかなか消えなかった。遊歩がそうやって周りの人に声をかけてる場面では、どう考えても一緒にいるように見えるけど、できるだけ他人のフリをしたくらいだ。恥ずかしさが消えなかった大きな理由は、さっきも書いたように周りからの視線が大きい。嫌な視線を向けられるのは、心地よくないし、迷惑者と言われているような気がするのだ。それなら、黙って待ってたほうがマシに感じてしまっていた。

だけど、両親や慣れた人たちとではなく、一人でや新しい友達と出かけるようになって、考え方が少し変わった。慣れた人たちといると、わたしが何も言わなくても、先にどんどん行ってくれていた。でも、他の人たちと一緒になって並ぶようになって、他の人たちは、列に並んでるとき以外はサクサク歩けるけれど、車イスだと、並んでるとき以外でも、街を歩くのには時間がかかるというのをつくづく感じるようになった。ちょっとした段差に引っかからないように一瞬止まって車イスの前をあげたり、人混みの中前の人にぶつからないように気をつけて歩いたりしてるうちに、気づいたら、他の人の2倍3倍くらいの時間がかかってしまうことがある。幼い頃は、目的地まで着く時間の計算などしないで出かけることができたけど、自分で時間の配分を考えなくてはならなくなって、気づいたのだ。

そう気づいたときに、列の前に「優先」させてもらうのは、「優先」ではなく、「合理的配慮」なのだと気づいた。

わたしが通っている大学で「平等」と「対等」の違いについて、授業中に何度か使われた図がある。



このようにして、身長が違う人たちに、平等な数の踏み台を渡しても、結局一番背が低い人は、塀の反対側が見えるようにならない。だけど、身長差に合わせて必要な数の踏み台を渡すことによって、みんなが塀の反対側が見えるようになる。そうすれば、みんな対等な結果を手に入れることができる。英語では、「平等」と「対等」という言葉が使われているけれど、日本語にするなら「平等」と「合理的配慮」という言葉の方がピンと来るかもしれない。

この図は私が抱えてたモヤモヤをスッキリと説明してくれたように思う。エレベーターの列を優先してもらうのは、そうすることによって、結局他の人たちと少しでも同じくらいのスピードで目的地に着けるなら、それは「優先」ではなく、「合理的配慮」なのだと思った。

【略歴】
1996年石丸偉丈氏と安積遊歩氏の元に産まれる。
母の体の特徴を受け継ぎ、生まれつき骨が弱いという特徴を持つ。
ニュージーランドのオタゴ大学、社会福祉専攻、修了。現在、ニュージーランド在中。
共著に『多様性のレッスン 車いすに乗るピアカウンセラー母娘が答える47のQ&A』(ミツイパブリッシング)。
2019年7月、NHKハートネットTVに母である安積遊歩とともに出演。