介護者と二人三脚の子育て~適応~

介護者と二人三脚の子育て~適応~

平田真利恵

2020年オリンピックイヤーとなる今年、私の娘は中学生になる。

産まれてきた時は、私の腕にすっぽりと収まってしまうほど小さかった赤ちゃんが気づけば12年で私の身長をあっさりと越していった。最近では、2人で街を歩いていると介護者に間違われる事もあるくらい、しっかりしたお姉さんに見られるほどだ。(障害者に同行する若者を介護者だと思い込んでいる人が多い事もあるが……) パッと見の印象が年齢の割に少し大人びていて、初対面の相手にでも動じる事なくコミュニケーションを取ろうとするし、敬語の使い方がとても自然なので何も知らない人には本当に高校生くらいに見えてしまうのかもしれない。

生まれた時から、家族以外の他人が常に一緒にいて尚且つ1日に何回か交代で人が入れ替わる生活を送ってきた娘にとってみれば、初対面の大人に対して「人見知り」なんてしていられない状況だったんだろう。赤ちゃんの頃から場所見知り(新しい場所・知らない場所などが苦手)はしても、初対面の介護者に対しては人見知りをした記憶が殆どない。初めのうちは新しい介護者に少し不安そうにしていても15分もすれば自然と懐くような子だった。

幼い子供にとってみれば、やはり物理的に自分を守ってくれる大人は必要だ。それを障害がある母親に望む事が困難な場合もあると本能的に分かっていて、幼いながらに自分の置かれている環境を理解し「介護者がいる生活」にわがままも言わず適応する努力をしてくれていたのだと思う。そのおかげで、子育て未経験な介護者や介護経験の浅い新人さんなども比較的定着しやすく「育児ありの障害者介護」が理由でうちの仕事を辞める人は少なかった。

家族の中に介護が必要な障害者がいて、介護者を入れながら家庭の中で生活するのは様々な問題があると聞く。しかし、介護者がいないとその家庭は崩壊の道を辿る。それを障害者(利用者)・介護者・家族がしっかり理解し、お互いにその家庭での役割を果たすために努力をしていかないとならないと私は考えている。そういう意味では、子供ながらに自分の家庭での役割をしっかりと分かっている娘には、親ながら尊敬するし精神的にとても助けられている部分がある。

少し話は変わるが、まだ娘が2歳半くらいの頃に保育園での印象的なエピソードがあった。お散歩で保育士さんと外へ出たとき、子供たちの前を歩く人達に「しゅいましぇん。みちをあけてくだしゃ〜い」と大声で言い、道を空けてくれた人に「ありがとうごさいましゅ〜。とおりま〜しゅ」と言ったらしい。保育士さんは、幼い子がしっかりと大人に対して敬語で喋れることに大変驚いた様子だったが、これは私と娘と介護者で外出した際にいつも言っていることだったから、自然とどういう場面で言うのかを覚えていて大人の真似をしてみたくなり言ったのだと思う。

うちでは、どちらかというと介護者とは敬語で話すことが多い。もちろん、ふざけた雰囲気の時はタメ口にもなるが…。あと、変にあだ名呼びはせず「○○さん」と呼ぶようにしている。言語障害があるため呼びにくそうな名前の場合は多少短くしたりはするが…。私たち親子にとっては、無くてはならない存在である介護者だがあくまでも介護者であり「家族」でも「お手伝いさん」でもない。家庭の中で、とても難しい立ち位置である介護者に対して、ある一定の距離を保つのを常に意識するのはとても難しいが、介護者との会話に敬語を使うだけでも何となく距離感がはかれる気がしている。

大人に対して敬語を使うのが当たり前の生活を送ってきた娘が、同年代の子供よりしっかりして見られるのはこういう事も要因の一つだと思っている。

さて、だいぶ親バカな文書になったので軌道修正していこう。

子供を無事に出産し、私が想像していたより術後の回復も早かったため予定通りの入院日数で退院出来る事となり「さぁ!明日、子供と一緒に帰れるぞ!」と思っていたら、娘の方が赤ちゃんが退院できる目安の体重にあと10グラム足りずに退院延期になってしまった。小さな我が子を病院に残して私だけ退院となる事がとても不安だった。少し落ち込んでいると「逆に子供と一緒に退院しちゃうと出生届や色んな手続きなんかに行きづらくなるから今のうちに行こう!」と、子育て経験のある介護者さんから提案された。確かに、うちはシングルで親戚も周りにいない。役所関係の手続きには母親である私しか行けないから、本当にこの期間を逃すと手続き等が遅れてしまうかもしれなかった。

退院したその足で役所に向かった。出生届を出した時、窓口にいた職員が不思議そうな顔で対応していたことを今でも思い出す。予想はしていたが「この人が本当に出産したのか?」という感じの表情でこちらを見てくる。他の手続きの時も、だいたいそんな感じの雰囲気で対応する職員の人たち。あまりにも同じ反応をするから、もう最後の方は介護者と笑うしかなかった。何とか手続きを終わらせてその日は久しぶりに自宅のベッドでゆっくり寝る事ができた。この数ヶ月間、お腹が重たくて寝返りもうてなくあまり寝れなかった。

ぐっすり寝た翌日の朝、娘が入院している病院から電話が入る。
「今朝2500グラムになったんで退院できます。迎えに来てください」
昨日、「一緒に退院できない」と不安で心配したのは何だったのか!と思うくらいの急展開に慌ててながら、でもとても嬉しい気持ちで雨が降る中タクシーで病院に娘を迎えに行った。



平田真利恵(ひらたまりえ)
昭和53年生まれ、脳性麻痺1種1級。
2002年の秋、「東京で自立生活がしたい」という思いだけで九州・宮崎から上京。障害者団体で2年ほど自立支援の活動をした後、2007年女の子を出産。シングルマザーとして、介護者達と二人三脚で子育て中。 地域のボランティアセンターで、イラスト作成や講演活動を行なっている。

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