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介護者と二人三脚の子育て~特殊で繊細で…だけど図太く~

介護者と二人三脚の子育て~特殊で繊細で…だけど図太く~

平田真利恵


ここ数年、関東地方にも台風が接近・上陸するようになってきたが、娘が生まれた13年前はまだ台風が関東地方にくるのは珍しい方だったと思う。

娘は少し小さく産まれたため、退院予定日までに退院できる基準の体重にはならず私だけ先に退院した。しかし、その翌日には体重が増え退院できる事になり「本日中に迎えに来てください」と朝早くに病院から連絡がきて私は慌てた。予想していたより早い退院となった事と、丁度その日に台風が関東を通過していく予報になっていたからだ。九州で生まれ育った私は台風には慣れてはいるが、その脅威も知っているから関東出身の人達より台風に対しての警戒も強く、台風が接近する日は外出を控えると幼い頃から教わってきた。だから、「こんな日に新生児連れて帰るのか〜。タイミング悪いな」と少し焦った。とりあえずタクシーを呼び、手動車椅子を後ろに積んでもらい介護者と病院へ向う。病院までは車で片道30分ほどかかる。その間も雨は強く降ったり弱くなったりと不安定だったがまだ止む様子はない。「行きはまだ私1人の介護でいいけど帰りが大変だな。まず優先的に子供を安全に運んでもらおう」などとタクシーの中で色々と考えていた。

病院に着き、先日まで自分もお世話になっていた産科病棟に向かう。病棟の受付に行くと、新生児室からミルクも飲ませてもらい沐浴も済ませて帰る準備万端の娘が出てきた。入院中は病院用の白い肌着を重ねて着せられていたが、産まれる前に準備して入院の際に持ってきていた新生児用の洋服を着せてもらっていた。1日に会わなかっただけなのに少し大きくなったように見えた。退院の手続きを済ませて入院中お世話になった病院スタッフにお礼を言い、頼んでおいたタクシーを病院の玄関ギリギリまで近づけてもらい車に乗り込む。介護者には新生児の娘を抱っこしてもらい、私は1人で車内に移動する。普段なら楽々と移れるのだか、流石に帝王切開をしたばかりで動くたびに傷口が痛む。その上、今までと違い腹筋に力が入りにくく移動に時間が掛かった。全員がタクシーに乗り込んで病院を出発する頃には、心配していた雨はすっかり止んでいた。そして、自宅に近づくにつれ分厚い雲はなくなっていき到着する頃には快晴になっていた。行きに「雨に濡らしたらどうしよう」と心配したが、無事に娘を布団の上に寝かせることができホッとした。

5年間ほど住んでる部屋に、小さな赤ちゃんがスヤスヤと眠っている。今までと同じ部屋のはずなのに雰囲気がまるで違う。生活感というか……「地に足がつく」というのだろうか?これからは日常生活自体にも責任を持たなければならないという事をヒシヒシと感じながら娘のかわいい寝顔を見ていた。

私は24歳の頃に、九州から上京して障害者団体の活動をしながら地域生活をスタートさせた。障害者団体にいた時期は、活動が忙しくて日常生活に重点を置かない生活を送っていた。本来、日常生活がしっかり出来ていないと他の面で不具合が生じるはずなのだが、介護者や障害者の先輩方がすぐに助けてくれたおかげで実感として不具合をあまり感じる機会がなかった(それはそれで問題なのだが)。それに、もともと一般的な日常生活がどういうものなのか理解できない障害者は多いと思う。施設や病院で過ごす時間が長かったり、家族に介護されていると自分自信で日常生活を組み立てる経験が健常者より遥かに少ない。いくら自立生活の練習を受けてから地域生活をスタートさせても、長年の欲求を爆発させるかのように自分のやりたい事だけを優先的にやってしまう傾向の人も多いため、現実的に物事を「今の生活に必要なのか・必要でないか?」などと自分自身で優先順位をつけながら介護者を入れて生活していくのは想像以上に難しい。私もこの生活を始めて2〜3年までは全然出来ていなかったと思う。

病院からもらった試供品のオムツなどを片付けていると、突然「ピャー」と娘が泣きだした。入院中も最後の方は結構一緒にいる時間が長かったので、泣くたびにオムツを換えたり授乳をしたりしていたが、帰宅後初の新生児の「号泣」に一瞬にしてテンパる私と介護者。とりあえず、オムツを見てみると少し汚れていたので交換をしてミルクを飲ませる事にした。まだ首が座っていない娘を布団から直接抱き抱える事は私には出来ないので、まず自分がクッションなどで体勢を整えて私の腕に娘を置いてもらう。本当はもう片方の手で哺乳瓶をもち自分でミルクを飲ませてやりたいが、まさにその手で自分の身体を支えなければならない。だから、哺乳瓶は介護者に持ってもらった。

ミルクを飲ませる前に私の手の甲に垂らしてもらい温度を確認する。これは通常はミルクを冷ます際に流れとして作った人がやった方が早いのだが、毎回温度チェックは私がやると決めていたので介護者にもお願いしていた事の一つだった。10分掛けてミルクを飲み終わると満足したのか娘はまた眠りだす。たった10分だが腕を動かさずにジッとしておくのは私にとっては大変なことだった。そして、その横で子育て経験のない介護者も哺乳瓶の角度に悪戦苦闘していた。上手く飲ませないと空気が入ってミルクを吐いてしまうから最初のうちは凄く緊張するようだ。「多分、私が子供の世話が全部できる母親であったとしても新米ママでミルクの飲ませ方なんて慣れなくて吐かせてしまうと思うからそんなに緊張しないでいいよ。そのうち慣れるから」と後で、介護者と夕飯をたべながら話した記憶がある。

「子供の命を守り育てていく」ということが最優先になった私の生活を支える介護というのは、とても特殊で繊細で……だけど図太くなくてはいけないという、なんとも高度な事を求めていたんだと思い関わってくれた人達には感謝している。





平田真利恵(ひらたまりえ)
昭和53年生まれ、脳性麻痺1種1級。
2002年の秋、「東京で自立生活がしたい」という思いだけで九州・宮崎から上京。障害者団体で2年ほど自立支援の活動をした後、2007年女の子を出産。シングルマザーとして、介護者達と二人三脚で子育て中。 地域のボランティアセンターで、イラスト作成や講演活動を行なっている。