安積遊歩さんの講義を受けて。
介護の世界に飛び込んでから、今年で約9年目を迎えた。
そして今年の4月、ESLに入社してからの私は、また新しい世界を知り、学び、
以前より色々なことをポジティブに考えられるようになった。
先日、ありがたいことに、安積遊歩さんの講義を受けさせていただいた。
講義では、
「対等」
「女性社会」
「女性リーダーシップ」
というキーワードの中で色々な話の展開があった。
正直、今の私には「難しい」と感じた。
まだまだ理解できていないところの方が多いが、私なりの感想をまとめたみた。
まず、一つ目は「対等」について。
私が思う対等とは、「自分と同じ立場にいる仲間の中で上下関係のない世界」というイメージだった。
人と接する時、今まで自然に考えていたことは、小さな頃母に、
「自分がされて嫌なことは、人にはしないこと。」
「人に悪いことをしたら、その悪いことは自分の所にバチとなって返ってくる。」
「人と話をする時は、相手の目を見て、まず相手の話を聞いてから、自分も話すこと。」
と教わった。なんとなく、今まで当たり前のようにそのことをずっと心に持ち続けて生きてきた。
これは、対等という意味を持っていたのか?と考えた。
つまりは、相手の気持ちを理解する、ということが対等の意味を持つ、ということなのか…?
相手の気持ちを考えられること。相手と同じ気持ちになれること。共感できること…。寄り添えること…。
私の中では、自分が嫌なことをされた時、それをまたその相手や誰かにしてしまったら、
相手も自分と同じようにいやな気持ちになってしまう、そういう気持ちにさせたくない、という思いだった。
人は鏡というように、どんなにその場を取り繕っても、
長くいればいるほど自分の気持ちは相手に伝わってしまうし、相手の気持ちも自分へと伝わってくる。
安積先生が教えて下さった言葉で、
相手との間に負の感情が生まれた時、どうしても避けたり、攻撃的になってしまう。
しかしそれは、争いたくてそうなっているわけではなく、
根本にはいい関係でありたいという思いがあり、
そのためにも「話し合いたい」としっかり相手に伝えることが大事だということ。
ネガティブ思考の私に、心にグッとくる言葉だった。
自分が意地を張っていたり、避けていたら、相手との関係の修復は時間が経つほど難しくなる。
自分から寄り添わなければ、相手にも寄り添う心はうまれない、ということ。
私が知らなかった世界の「対等」という言葉は、人はこの世に生まれてきた時から、どんな事情を抱えていても、
根本にはみんな同じ気持ちを持っているのだから、その気持ちを理解し合うこと、共感し合うこと、
それも対等ということなのかな、と感じた。
二つ目は「女性社会」について。
これが一番難しいと感じた。
私自身も10年以上母子家庭で子供と二人暮らしをしている。そして、母子家庭で複雑な環境下で育ってきた。
そのせいもあって、小さな頃は男性がこわかった。
特に大人の男性に怒られることがこわくて、怒っている顔を見るだけで泣いてしまっていた。
でも、初恋ができたことで男性への恐怖心は少しずつ減っていき、心持も変えることができた。
そして、今回、先生の「女性にとっては生きにくい世の中だ、」という言葉に衝撃を受けた。
確かに、小さな子供を抱えて、身内に頼るあてもなく生活していくことは、
本当に「大変」「寂しい」「辛い」誰かにすがりたいという思いと、
いろいろな葛藤で毎日戦っていて、子どもをかわいいと思える余裕もなかった。
ふと気が付いたら、何のために頑張っているのだろう…生きているのだろう…と、
気落ちしてしまうことも多かった。
そしてまた男性が嫌いになりそうだった。温かい家庭が羨ましかった。
しかし、子どもが成長していくと、そんな自分の葛藤も辛さも、いつの間にか薄れていた。
子どもに教わる、学ぶことが増えてきたからだ。
心の問題は特に、大事にしている。
現実から逃げたい気持ちも、やる気がなくなり、無気力になってしまう気持ちも、よくわかる。
だからこそ、なおさら弱い心に負けずに、強くなって生きていってほしい。
私自身も自分に強くなりたい。
女性社会の生きにくさで言えば、男性が偉い、まとめている、そんな雰囲気が日本にはあって、
男女平等をうたっていても、やっぱり男性が優位に立っているイメージ。
でも、男女ではなく、「役割」だということ。
内面化された抑圧を外に出して、男女とも関係なく対等に生きていく、ということ。
これもまた私にとっては新たな「対等」である。
最後は、「女性リーダーシップ」について。
先生の教えは、人の問題も自分のことのように考えられる人。男女関係なく支え合えるということが大事。
こう考えていくと、一つ目の「対等」という言葉は、全てにつながってくる。
リーダーシップを図る上で、”人の問題も自分のことのように”というところで、
相手はどんな問題や課題を抱えているのかを、まずこちらが知ろうとしなければ、そして、
そのことを受け止めなければ、一人一人の悩みは見えてこないし、
チームを支えていく、まとめていくこともできない、ということ。
私の中でのリーダーシップは、「みんなを引っ張っていく。みんなの中心的存在」そんなイメージだった。
それも大切なのかもしれない、しかし、チームを引っ張っていくためには、まとめていくためには、
やはり、対等はつきものだ。
色々な人がいて、人それぞれのとらえ方や考え方がある中で、
リーダーシップを図ること、つまりは受容・傾聴・共感。
男女の差は関係なく、お互いが支え合い、手と手を取り合って、力を合わせていくこと。
まとめ役だけが負担するのではなく、みんなで力を合わせるということ。
そのためには、時に対等になって、話合いをすること。
なのかな、と、感じた。
私の中で、この「対等」という言葉は一生の課題になった。
その時その瞬間、人と人とのつながりを大切にし、これからも切磋琢磨して生きていこうと思った。
最後に、
安積先生、手を握ってくださって、ありがとうございました。
先生が伝えたかったことに対して、私はまだまだ理解できていないかもしれません。
でも、先生のお話しは私の心にとても響き、これからの生きる術になりました。