利用者・加藤拓の経験”知”

加藤 拓


第26回 私たちに突きつけられた問い~振り回された3年間の終わりに~

3年間、この時を心の底から待ち侘びていた。大型連休明けに、ようやくcovid19ウイルスの法律上の分類が5類に変更され、特別な対応は順次終わっていくことになる。私と母が大きく変わらぬ日々を過ごすことができたのは、介護事業者のスタッフの皆さまのおかげである。この3年間も変わらずケアを提供してくださった全てのスタッフに、この場を借りて心からの感謝を伝えたい。しかし、である。この3年間の出来事を「大変だったね、みんなでよく我慢したね」で済ませてよいとは到底思えない。そこで、今回は私から見たこの3年間の介護と社会について書いてみたい。

一言で言えば、医療側からの「いのちだいじに」という発信に全てを押し流された3年間、である。某RPGの“作戦”のような言葉だが、医療側としては当然だろう。私が問題だと感じるのは、介護の世界も医療と全く同じ方向を向き、同じゴールを目指して自縄自縛に陥ったように見えることだ。

昨夏、近所の老健の建物を見上げてスマホ片手に話す女性を見かけた。何をしているのか気になり、その女性の視線の先を見てみると建物の窓が開いており、その向こうにはスマホを持った高齢者が椅子に座っていた。何とも珍妙な”面会”で、この3年間を象徴する光景だった。一体何のために多くの人がワクチン接種を受け、”感染症対策”を続けているのだろうかと、私は何とも言えない空しさに襲われた。

感染者を出すことが犯罪であるかのように報じられ、その”責任”を問うような風潮がかなり強かったため、ヘルパーにも利用者にも強いプレッシャーがかかる日々が続いた。厚労省の通達に加えて、この強いプレッシャーが珍妙な“面会”や濃厚接触者の厳格な休業、利用者の家族が発熱しただけで本人に検査を求めるような硬直化した対応へとつながったのだろう。私自身、ケアに入るヘルパーの変更の連絡を数え切れないほど受け、その度に電話口で謝るサ責に労いの言葉をかけてきた。

そもそも介護施設や利用者宅は医療機関ではないし、ヘルパーは医療職ではない。互いに絶対に感染させないような対応など、土台無理な話なのだ。もちろん、利用者側がそれを求めることも無理筋である。私もこれまでにヘルパーを介して他の利用者に感染症をうつしてしまっていたかもしれないし、結果的に誰かを死に至らしめてきたかもしれない。もしその責任を問われるのならヘルパーのケアなど利用できないどころか、気安く人と会うことすらできない。そんな責任を問うこと自体がナンセンスであり、社会はそのようにできていないのだ。「いのちだいじに」は病院の中では正しい“作戦”だが、社会全体に持ち込むべきものでも、持続可能なものでもないのである。

また、メディアや専門家と称する人々が伝える通りの“死病”が蔓延しているのであれば、仮に私が介護事業の管理者ならとてもではないが恐ろしくてサービスなど提供できない。スタッフも利用者もあらゆる意味で守ることが難しく、“責任”をとれないからだ。高齢者を集めて行うデイサービスなどは絶対に無理である。まとまった数の事業者が「このような状況で完璧な対策を求められるならサービスは提供できない」として休業し、専門家や国に向けて本当のウイルスの脅威と必要な対策をただし、現実的な方針への転換を迫るくらいのことをしてもよかったのである。ケアが必要な高齢者が家に留まることで医療をはじめ社会機能は大きな影響を受け、強い反発を受けるだろうが、このくらいインパクトのあることをしなければおそらく効果はないだろう。

これほど大胆なことは難しいにしても、医療とは異なる方向性を打ち出してほしかった。それができなかったのは、「いのちだいじに」のような軸となる価値観を介護業界が共有できていないからだ。私としては、キーワードは「日常を守る」だと考えている。基本的に医療は具合の悪いときに関わる分野である一方、介護は利用者の日常生活そのものを支えるのが仕事だからだ。それは、在宅でも施設でも変わりはない。私は可能な限り現場に行き、直接人と会って話し、様々なことを学び伝えていくことを大切に生きていきたい。それゆえ、私はこの3年間も変わらず外出し活動してきた。これはひとえに、ヘルパーの方々が私の思いを理解し支えてくれたおかげである。一方で、多くの利用者とヘルパーが互いに素顔を隠し、施設入所者はほぼ外に出られず家族と直接触れ合えない日々が続いたが、それは果たして利用者の思いに沿った「守るべき日常」だったのだろうか。

それから、日常には人の死が含まれるということを忘れてはならない。私の所属団体の仲間には疾患を抱えている人が多い。それゆえに、残念ながら亡くなる方もいる。私と同世代の、あるいはより若い仲間を見送らなければならないこともある。そんなときは「なぜこんなことが起こるのか!?」という、やるせない気持ちで胸がいっぱいになる。でも、人の死とはそういうものなのだろう。いつ訪れるかわからないからこそ、私たちは日々を大切に生きなければならない。また、平均より若くして旅立った仲間が不幸だったかと言えば、決してそんなことはないはずだ。利用者、患者とともに、命の長さだけでなく質を追い求めることが、介護や医療のあるべき姿なのではないだろうか。

介護も医療も、社会福祉に分類される。漢和辞典によれば福祉の「福」はもちろん、「祉」という字にも幸せという意味があるそうだ。つまり、介護も医療も社会に暮らす人々の幸せのためにあるということだ。ではこの3年間、介護と医療は私たちを本当に幸せにしただろうか。私たちが介護や医療に求めたものは、本当の幸せにつながったのだろうか。感染症対策を続けて3年経った今、冷静に考えてみてほしい。自宅の外では顔を隠し続け、他人はおろか自分のことさえも感染源とみなすような社会に、明るい未来など待っているはずがない。私たちは何を大切にして日々を生きていきたいのかをもう一度考え、どのような社会を望み、そのためにどんな介護と医療を作り上げるのかを話し合っていかねばならない。それこそが、この3年間に亡くなった方への手向けであり、様々な夢を諦めた人、青春を奪われた若い人々への償いとなるのだ。どう生きて、どう死にたいのか。そしてそれをどう支えるのか・・・私たちに突きつけられた問いは、とてつもなく重い。


加藤拓(かとう たく)
1983年生まれ。生まれつき脳性麻痺による身体障害者で、現在は毎日ヘルパーのケアを受けながら、「皆で考えてつくる医療と介護」をモットーに、講演活動やワークショップの開催を続けている。2020年7月からはヘルパー向けの研修講師も担当している。 趣味はゲームと鉄道に乗ること。

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