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相模原障害者施設殺傷事件からの優生思想   吉次まり

相模原障害者施設殺傷事件からの優生思想

吉次まり





2016年に津久井やまゆり園という障害者施設で45人の方が死傷しました。

これは当時の負傷者数として、戦後最大の人的事件と言われています。

これから書くことは、もちろん犯人や事件内容を擁護・賛成する内容ではありません。

しかし少しでも客観的にそして冷静に考えるきっかけになればと思い書いています。

皆さんは、この事件についてどれだけ知っていますか。どのような施設で、どのような方が犠牲になり、犯人はどのような人で動機はなんだったのか。のちに発生した、京アニ事件と同じくらい知っているでしょうか。

事件当時、一斉に福祉当事者や関係者が反応し、意見や批判・怖いといった感情を持たれていたことは知っています。しかし、実際内容を知れるだけニュースになったのでしょうか。正直、この事件について反応をしているのは福祉関係者だけであり、健常者と言われる人々はほとんど反応していないのでは?と思いました。

そうです、当時、戦後凶悪犯罪史上最大人数の45人もの方が犠牲になられたのに、世間は京アニ事件・地下鉄サリン事件のように大きく報道されませんでした。もちろん人数の問題ではありませんが、そのことの方がとても違和感を覚え、植松死刑囚の犯行と同様に恐ろしいことだなと思いました。

植松死刑囚は、この施設で働いていました。(どれほどのシフト・勤務量だったかは不明ですが)毎日障害者と生活をしている中で、何を思ったのか殺傷という行動を起こしました。では、なぜ犯行に及んだのでしょう。もちろん真相は本人のみぞ知るですが、少しだけ考えてみましょう。

ある障害者の方が植松死刑囚と接見し、以下のやり取りをされたそうです。

障害者の方が「人間は“殺される権利” はない」と発言したことに対して、植松死刑囚は、
「理性・良心があることが人間だと考えているので、差別ではなく区別です。差別は偏見に基づく。区別とは違う。意思疎通と取れない人は有害だから。意識のない重度障害者は安楽死すべきだと考えている」

と話したそうです。

また、毎日新聞の取材に対し、「意思疎通のできない重度心身障害者には人権がない」「知的障害のある人は『生きる意味がない』『社会のためにやらなければならなかった』」などと述べていたそうです。

北九州市で長年、路上生活者を支援しているNPO「抱樸(ほうぼく)」の理事長で牧師の奥田知志さんは、植松聖死刑囚被告(当時29)と拘置施設で接見しました。

その上で毎日新聞やその他媒体で以下のように答えています。

NPO法人「抱僕」理事長・牧師 奥田知志

この中で一番印象に残ったことは、

・身辺自立(食事・移動・排泄など)ができていない人は、人間でもなく生きる意味もない命であり、役に立たない人間は死ぬべきだと考えていること。

・植松被告は、いわゆる若者の突発的な犯行ではなく、彼なりのきちんとした考えのもとで犯行に及んだこと。

・この優生思想と同じような考え方が、ヒトラーやナチズムの考えを参考にしたのではなく、彼自身の考えだったこと。

この3点です。

正しい正しくないは別として、植松死刑囚は真剣に“生きるとは”、“人間とは”を誰よりも考えていた人なのではないでしょうか。

現在の学校教育や社会の中で人は、常に生産性や意味のある行動を求められています。したがって、常に自分は役にたっているのか?自分は何のためにいるのか?どうやったら活躍・人の役に立てるのかを考えなくてはいけない世の中のように思います。

そんな中、植松死刑囚自身が自分の存在価値に迷い、「このままでは自分は必要のない存在=生きているべきではない存在になってしまう」と考え、必要な人間になるために犯行に及んだのではないでしょうか。もしこのような考えからの行動だったとしたら、この犯行は植松死刑囚一人の犯行ではなく、社会そのものが生み出してしまった行動ではないでしょうか。

もしそうであれば、死刑判決こそ、植松死刑囚の行ったことの繰り返しであり、何も解決になっていないのではないでしょうか。

植松容疑者のように、一度真剣に“命とは・生きるとは”を考える必要があると思います。

*植松容疑者の犯行を擁護しているわけではありません。