「去年の振り返りと今年の目標について」

菅野 真由美



2020年が終わる。
個人にとっても社会にとってもとても大変な一年だった。

20代の時に阪神淡路大震災があった。
朝起こったその地震が埼玉に住んでいた私達のところに「西で大きな地震があったようだ」と耳に入ったのはその日のお昼ごろだった。
他人事のように聞き流し夕方まで仕事をし、帰宅途中の駅前で配られた号外を手にしたときは愕然とした。
一面焼け野原。炎が街を消した。これは日本なの?と目を疑ったことを憶えている。
大切なものが何かを考えさせられた。

40代には東日本大震災があった。
関東の揺れも大きくライフラインや公共機関がストップし、家族が再び集合できるまでの不安は言葉で表すことができない。
繰り返し流れる津波の映像。波が街を消した。家族で震える肩を寄せ合った。
真の家族の在り方を考えさせられた。

そしてウイルスの年だった。
この闘いは長い。まだ終わらない。先も見えない。
街も建物も破壊しない代わりに人間の体と同時に心をむしばんだ。

目に見えない不安から人はその矛先を何かに向ける。
当たり前の日常が崩れ人々のストレスは高まった。
国の政策が悪い、若者が悪い、罹患した人や家族は差別の対象になり、それは医療従事者までにも及んだ。
国も医療従事者も本来は助けてくれる存在。
正常な思考は失われていく。

私達の仕事も同様だった。
訪問先によっては過剰な反応を示し、ヘルパーに対して心無い言動を放った。
今まで支援に入ってくれたスタッフが「ばい菌」的な扱いを受けることもあった。
日々緊張の続く中、自分が感染源になってはいけないと、仕事中は勿論のこと移動から日常生活にいたるまで人一倍注意を払って仕事に穴をあけないようにしているヘルパーに対してだ。
病んだスタッフもいた。
社会的に意義のある仕事ほど世の中のストレスのはけ口となった。

そんな状況の中、現場を守ってくれたスタッフにまずは感謝したい。
正解がない状況で、利用者や家族がもしかしたら濃厚接触者かもしれないという疑いがある中でも、訪問をしてくれたスタッフには本当に心から心からありがとうと言いたい。
自分にも生活があり、家族がいる中でとても不安であり恐怖だったはずだ。
こんなにも全国的に感染者が報告されているにも関わらず、利用者からもスタッフからも感染者が出てない現状は奇跡ではなく、スタッフの尋常ではない努力と忍耐の積み重ねだったに違いない。

会社も大きな変革期だった。
多くの人がショックを受け、怒りを覚え、あきらめて状況を受容した。
失うものも多かったが得るものはそれ以上だったかと思う。
大切なものとそうでないものとが明確になった気がする。
意味のあると思っていたことと、意味のないと思っていたことが逆転もした。
でも本当に必要なものが何かも見えた。
濁りのない瞳で見る力もついた。

願うことは「許す心」
誰かを許すこと。
自分を許すこと。

それぞれ価値観は違えども私達は同じ方向を向いていると信じたい。
ぶれない一年をチームESLの仲間と歩みたいと思う。



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